円卓の騎士を拝した当初、新参者の僕は仲睦まじい同輩達を敬遠し、志願して彼方の敵地へと赴いた。
心も軀も何もかも、全部―――。
唯々破壊して仕舞いたくて、可能な限り操縦桿を握り続け、戦場を渡り歩く生活の果てに、死神と綽名された。
御誂え向きの二つ名を密かに自嘲したが、周囲が遠巻きに持て囃す中で、第三席を預かる騎士だけは、一切垣根を作らなかった。
久し振りに帰還を遂げると、たとえ其れが夜遅い時間であったとしても、必ず僕の執務室まで足を運んだ。
内側から蝶番を鳴らし、そっと佇む彼に何度と入室を促したが、やわらかな微笑みを湛えて憚った。
ほんの立ち話程度に、遠征中の睡眠時間や栄養状態を尋ねると、最後に慰労の言葉を述べて静かに踵を返した。
其れから次の出撃が決まる迄、彼は毎日決まった時間に部屋を訪れ、僕を午後の御茶会に誘った。
急拵えの下手な言い訳で断る度に、一つ歳下の騎士は何処か寂しげな様子で、とても残念だ。と言い残し、自ら扉を閉じた。
長期に及んだ戦線から凱旋した或る夜更け、僕は文机にじっと腰掛けて、荘厳な朝焼けを迎える迄、訪問の合図を待ち続けた。
始業時間を過ぎると馬鹿馬鹿しくなり、白けた空気を熱いシャワーで洗い流し、早々隣室のベッドに潜り込んだ。
日捲りが十枚近く破られても、執務室は依然静寂を保ち、僕は適当な口実一つ持ち合わせない儘、第三席の許へと出向いた。
彼の部屋に辿り着くと、在室を知らせる様に戸の隙間から灯りが漏れ、ほっとする他方、得体の知れない不安が胸を締め付けた。
控え目に二度扉を叩き、祈る気持ちで返事を窺った。
傾けた耳翼がか細い許諾の声を捉え、我ながら不躾に、掌の真鍮をガチャリと半回転させた。
意想外な訪問者に一刹那面喰った彼は、だが、直ぐに手巾で口許を覆い、激しく咳込んだ。
開扉の際に流れ込んだ夜風の所為だと気付き、僕は慌てて把手を離した。
襟の合わせをきつく握って苦悶する姿に動転し、駆け寄って背中を撫でる以外に、有効な手立てなど思い浮かばなかった。
やがて呼吸が整うと、彼は薄らと露に濡れた空色の瞳を振り向け、もう大丈夫…ありがとう。と儚く微笑んだ。
普段のしっとりと耳に馴染む声は擦れ、白い肌は一層透き通って見えた。
「こんな遅い時間に、まさか貴卿が御越しになるとは……何か急な用事でも?」
猶も手巾を宛がう配慮に、自身の身勝手さを痛烈に思い知り、視線が床の木目を彷徨った。
言葉に詰まった僕を優しくソファに導き、今、温かい紅茶を。と言い置いて、彼は奥の厨房へ向かおうと一歩踏み出した。
幾分細った気のする背が、我儘な本音をぽつりと吐かせた。
「……君が居ない…」
「え?」
「初の長期戦で勝利を収めた後、疲労困憊な軀に鞭打って、最短経路で帰国した。
どうせまた何時もの様に、君が御節介を焼きに来るんだろうと、食事も入浴も
睡眠も、全部後回しにして待っていた。」
「其れは申し訳無かった。先週から風邪を拗らせて仕舞って……ロイド博士から電話で普段通りだと伺い、遠慮した積りだったのだが。」
「何其れ…朝迄一睡もせずに待ち惚けていた僕が、馬鹿みたいじゃないか。」
「枢木卿……」
「廊下を行き交う気配の中から、君の足音だけを探り、違うと分かる度に落胆した。」
「……ごめん…」
「何時もの風景に君が居ない。唯其れだけで、心臓が引き千切られる様な想いを、僕は……」
日頃心掛けていた筈の丁寧な物言いも、止め処無く溢れる感情と一緒に流され、
今度は自分が背を向けた。
コツリと長靴の音がして、直ぐ傍で彼が纏う仄かな深緑の香りがした。
「無事の御帰還に謹んで御喜びを……」
一晩中渇望し続けた言葉だった。
其れなのに、背後から二三度聞こえた空咳に打ちひしがれ、僕は押し黙った儘、爪が喰い込む程掌を握り締めた。
足許に描かれた細長い影絵が、心配して覗き込む様に首を傾げ、やがて躊躇いがちに、そっと後ろ髪を撫でた。
「……御帰り…」
大きな手の温もりを辿った先には、最早心を掴んで離さない、穏やかな木漏れ日の微笑―――。