Love Me Tender


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LastUpdate : 2009/12/24(Fin.)


おやすみの挨拶をして部屋に入ると、気の緩みから、思わず深い溜息を吐いてしまった。
いけない。と口許を覆い、さっきまで一緒だったロロとナナリーの笑顔を思い浮かべた。
二人が聞いたら心配するような嘆息は、誕生日の前夜から数えて二十日も続いていた。
バルコニーへと続く窓には白いレースのカーテンだけが引かれ、いつも其処から来訪する面影を密かに待ち侘びた。
コツと靴音を響かせて、直ぐ脇に植えられた大きな木の枝先から降り立つと、静かに蝶番を開いた。

―――こんばんは、先輩。

穏やかな微笑を湛えてそう言われると、真冬の寒さも忘れてしまうほど心が暖かく満たされた。
二十日、も……。
また一つ唇から吐息が漏れたが、忽ち掌に吸い込まれて消えた。
ひとりの時間にしか赦されないのは、鞘当ての原因が自分の側にあるからで、身勝手な傷心を誰にも知られたくなかった。





先月の終わりに、ジノは本当に申し訳ない顔をして、仕事の都合で一旦帰国することになったと打ち明けた。
本職はナイト・オブ・ラウンズで、学生業が二の次になるのは別段珍しくも無かったが、出国の日取りは12月4日。
折しもそれは俺の誕生日前日で、埋め合わせは必ずするから。と謝るジノに二つ返事をすると、ほっとした様子だった。
夜には発つというのに、当日の放課後にこの部屋に寄って、刻限間際まで一緒に過ごした。
優しい気遣いを素直に喜んだものの、限られた短い時間が余計に切なくさせた。
天秤に掛けさせるつもりは毛頭無かったが、仕事を優先されたのが少なからず影響を及ぼした。
此方から想いを告げて始まった交際は、周囲に秘密のままで、その所為か、ジノは以前のように好意を口にしなくなった。
二人の時でさえ、愛している。と言われたことは一度も無く、自分だけが求めているのかと、ずっと不安だった。

『……少し、離れてみるのも良いかもしれないな。』
『え……?』

笑って見送る筈だったのに、口を衝いて出た心無い一言は、もう取り返しがつかなかった。
ジノはとても驚いた顔をしたが、やがて溜息交じりの声で了承すると、それ以上は何も言わずに部屋を出て行った。
扉の閉じる音が冷たく響いて、後には微かな残り香だけが漂っていた。



卓越したKMF操作で今の地位に就いた実力派と、誰もが知っていた。
仕事にプライドを持っていて当然で、それなのに自分の我が儘だけを押し付けて、困惑させた。
あまりに子供染みて、諍いにすら、ならなかった……。
机の上の誕生日プレゼントに気付いたのは、随分経ったその夜のことで、激しい後悔に居た堪れなかった。
丁寧に結われたリボンを解くのは憚られて、あの日から手付かずのまま同じ場所に置かれていた。
鳴る筈の無い携帯電話を手放せず、過ぎていく空虚な毎日を重ねては、ひとり長嘆した。



もうすぐ今日が終わり、明日はクリスマス・イヴ。
人々を幸福な気持ちにさせる特別な一日を、遠い空の向こうで誰と過ごすのだろう。
幼かった日のように、サンタクロースが願いを叶えてくれるなら、夜通しでも待っていたかった。





24日はちょうど終業式で、放課後の生徒会室からは、会長の提案で開かれたクリスマス・パーティを楽しむ声が聞かれた。
大きなホール・ケーキにナイフを入れようとしたら、八等分にして欲しいとアーニャに言われ、俺は一瞬戸惑って彼女を見詰めた。

「……ジノの分。来られないけど、数に入れて。」
「そうね。ジノだって生徒会のメンバーなんだもの、ちゃんと席を用意しましょ!」

会長はそう言ってウィンクすると、ジノの指定席である俺の右隣を手早く整えた。
他に幾らでもあるのに必ず其処に座って、時々触れる腕や馴染んだ香水に胸が高鳴った。
切り分けたケーキを並べると、みんなは口々にジノの欠席を残念がり、次はいつ逢えるのかと待ち遠しそうに話した。
アーニャの話によれば、本国ではクリスマス休暇を前に仕事が大詰めを迎えていたらしく、中には体調を崩す者もいたそうだ。
それは大変な忙しさだ。と言うと、ふわふわの髪がこくんと頷いた。

「ジノは……自分の仕事を終わらせた後、他の人のお手伝い。戻ってくるのが……少し、遅くなる。」
「他の人?」
「……ナイト・オブ・ワン。お休みを取って貰う為に、ラウンズみんなで肩代わりする約束……。昨日は、ヴァルトシュタイン卿の誕生日だったから。」
「…誕生日…」
「毎年忙しくて、きちんとお祝い出来なかった……」
「そうか……」

職種上、仕事の話は殆どしたことが無かったが、事情を知っていたら、大人気なく拗ねたりせずに、笑顔で送り出せただろうか。
クリスマスを過ぎても長引きそうな不在に、事態を収拾する術が見つからなかった。





パーティーでは珍しくロロとナナリーがはしゃぎ、帰る頃には二人ともすっかり遊び疲れて、簡単に夕食を済ませると自分達の部屋に戻っていった。
どうやら直ぐにベッドに入った様子で、寝静まった家の中は、食器を片づける音だけがやけに大きく聞こえた。
明日の朝食の準備までを終えると、もう夜遅い時間になり、慌ててバスルームに向かった。



蛇口を捻ると、シャワーヘッドから降り注ぐ温かな湯が浴槽に波紋を広げた。
やがて芯から冷えが解けていき、僅かながら火照りを纏った身体をそっと抱き締めてみた。
最後に肌が触れたのはジノの誕生日で、いつも以上に甘く翻弄されて、……今でもその熱をはっきりと思い出せるのに、また一つ、溜め息が零れた。
少し浮かされた様な眼差しを向け、普段は先輩と呼ぶのに、耳元で名前を囁かれて、心臓が壊れそうになった。
求めれば、優しく包み込んで応えてくれたのは間違いのない事実で、今頃になってそんな大事な事に気付く自分が、情けなかった。
親密になる前は、傍に居られる事が倖せだと感じていたのに、自分の方が一つ年上なのも忘れて、心が我が儘になるのを律しきれずにいた。
逢いたくて逢いたくて、ただそれだけを願った。
熱いシャワーが紛れた涙を綺麗に流してくれるまで、膝を抱えてじっと打たれ続けた。





机の上に置かれたままのプレゼントは、絵葉書を二枚並べたくらいの大きさで、2、3センチの厚みがあった。
少し躊躇いながらもリボンの端を引っ張ると、中からは一冊の薄い本が現れた。
それは古い作家が初期に書いた短編で、今では図書館にある全集でしか読むことの出来ない、希少な絶版本だった。
一緒に図書館へ行ったのは、何時だっただろう。
思い出せないくらい前の事で、この本の話をしたのさえ覚えていなかった。
それなのに、ジノは…………。
添えられていた二つ折りのメッセージカードには、丁寧で真っ直ぐな文字が記されていた。

Happy Birthday ,Dear Lelouch.

Always thinking of you.    

With love, Gino.

短い言葉は息が詰まるほど胸を締め付け、何故もっと早く中を開けてみなかったのかと、また一つ後悔した。
今更と言われても、一刻も早く感謝の気持ちを伝えなければ、もう二度と元には戻れなくなると思った。
携帯電話を手にすると緊張して指が震えたが、ジノの言葉に応えたかった。

―――Always thinking of you.   いつも、貴方のことを想っています。



遠くから鳴るコール音に耳を傾けていると、思い掛けず冷たい夜風が入り込んできて、咄嗟にまさかと振り返った。
そっと窓が閉じられると、靡いていたレースのカーテンの揺れが途端に静まった。
仕事を終えてそのまま此処へ急いだのだろうか、白い制服に深緑のマントを羽織った姿で、いつもの微笑みを湛えていた。

「こんばんは。」
「……ジノ……」

ジノはポケットから振動を続ける携帯を取り出すと、通話ボタンを押して耳に宛がった。
俺は突然繋がった回線に何を言っていいのか分からず、同じように耳元に押し当てたまま、青く澄んだ瞳を見詰めた。

「……ただいま。」
「…お…かえり。」
「鍵、掛けずにいたの?」
「…………ああ。」
「あの日から、ずっと?」
「…………ああ。」
「待っていてくれたの?」

頷くよりも早く、大きな腕に抱き締められ、逢いたかった。と掠れ気味の声が耳朶に響いた。
目に見えない何かが起こした奇跡に、深く感謝したかった。



「窓が閉まっていたら。と思うと、正直、怖かった……あんな風に終わらせたくなかった。」
「…ジノ…あの日のことを謝らなくてはいけない。本当は、笑顔で送り出すつもりで居た。」

そろりと腕の力を弱めたジノは、出て行った時に見せた悲しい表情を浮かべていた。
溜め息を吐いて過ごした二十日余りの間、離れた場所で矢張り悩んでいたのだと思うと、申し訳なくて言葉も出なかった。

「私の方こそ、謝らせて。」
「え?」
「理由はどうあれ、不安な気持ちにさせてしまったのは事実です。……ごめんなさい。」
「違う!お前の所為じゃない。あれは、俺が我が儘を抑え切れなかっただけで、」
「先輩、いいんです。」
「いいって…ジノ……」
「本当に、いいんだ…」

穏やかな表情に変わっていた。
ジノは俺の髪を撫でてその一房に軽くキスをすると、我が儘を言ってもいいんだよ。と優しく囁いた。

「……離れたくなかった……」
「…私も同じ気持ちだった。」
「……自分の居場所があるのか分からなくて……でも、聞けなかった…」
「ずっと怖い思いをさせていたんだ…?」
「…想いを、言葉にして欲しかった……」
「……言葉だけでは、とても足りない。」

気が遠くなるほど胸を焦がしたくちづけは、記憶よりも遥かに甘くて、溶けるように熱かった。
深く重なり合った唇が離れるたびに、願い続けた言葉が何度も伝えられた。
硝子越しに粉雪がしんしんと降り続いて、二人をそっと祝福しているようだった。





Fin.