魅惑的な遊戯


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LastUpdate : 2009/11/11(Fin.)


暦の上ではもう晩秋だと言うのに、上着が要らないくらい暖かな午後。
澄んだ風が時折レースのカーテンを優しく揺らし、生徒会室は今日も楽しいお喋りと、賑やかな笑い声に満ちていた。
私は談笑の輪に加わりつつも、学園祭の決算に忙しい先輩の手助けに、山積みされた資料を分類していた。
ミレイが言うには、急ぐ仕事ではないらしいけれど、来月には期末考査も控えているから。と言って、先輩は黙々と事務作業に励んでいた。

「ねぇ、ルルも一緒に食べようよ!」

集中している横顔にシャーリー先輩が明るく声を掛けると、先輩はふっと小さな吐息を漏らして肩の力を抜いた。
彼女が差し出したのはチョコレートでコーティングされた細長いプレッツェルで、今日は製造元の菓子会社が制定した、この商品の記念日なのだそうだ。
本国にはない文化に関心を示すと、先輩はその焼き菓子を此方に差し出した。
初めて食べた菓子は、噛むと簡単に折れて、甘い後味が舌先に残った。
これを二人で両端から食べるというゲームを聞くと、それまで携帯電話を弄っていたアーニャは、置いてあった一箱を掴んで、猛然と走り去ってしまった。
普段は見せない俊敏な動きに、ぽかんと口を開けた先輩の顔が可愛くて、思わず笑みが零れた。
同い年の総督に報告するのだろうと教えると、僅かに驚いて紫紺の瞳を瞬かせた後、ふわりと柔らかな微笑を浮かべた。

「俺達もそろそろ帰ろうぜ。」
「そうね。ルルちゃんとジノは、まだ残るの?」
「ええ。区切りの良いところまで片付けてから帰りますよ。」

先輩はミレイにそう言って再びペンを手にすると、窺う様にちらりと此方を見た。
経験から無意識だと分かっていても、その強請るような仕草に私はあっさり撃沈され、肩を竦めて居残りの了解を表した。
ミレイは先輩に戸締りを任せると、みんなと一緒に部屋を後にした。
私達はまた単調な書類作成に戻り、紙を捲る音が暫く続いた。



一時間程で目処が付き、先輩は片付けを済ませると、おかげで助かった。と言って紅茶を淹れてくれた。
私は受け取ったカップの中の温かさに、ほっと一息吐いた。
とても美味しいです。と感想を述べると、先輩は含羞んで俯いた。
ふとリヴァル先輩の話を思い出して、私は机に置かれたままのプレッツェルの箱に手を伸ばした。

「こんなに細いスティック菓子を二人の人間が手を使わずに食べるなんて、難易度の高いゲームですね。」

両方の力加減が上手くいかないと直ぐに折れて、落としてしまいそうだと思った。
すると先輩は箱から一本を抜き、簡単な物理学だ。と言って、力点や支点といった言葉を使って滔々と説明を始めた。
理解し易いようにと丁寧に言葉を選んでいる様子が堪らなくて、話を其方退けに、つい見惚れてしまった。

「この二点の力の均衡で作用点、つまり物体に働く…………おい、聞いているのか?」
「…………ごめんなさい。聞いていませんでした。」

素直に白状すると、眉を寄せて怒った顔をして見せたけど、仕様がない奴だな。と言ってくすりと笑った。



先輩は何かを探すように辺りを見回すと、窓際のソファに目を留め、私を其処に座らせた。

「今の理論を実践してやる。」
「え?まだ続きをやるんですか?!」
「当然だ。口で言って解らないなら身体で覚えろ。」
「か、身体で…って…………」
「何か文句でもあるのか?」
「…………ありません。」

先輩の無意識な言動に、私はいつも煽られっ放し。
私が必死で邪な情動を抑えているとも知らずに、先輩はプレッツェルを持ったまま隣に腰を下ろした。

「身長差が障害だな。」
「でしたら、床に膝を折って座りましょうか?」
「駄目だ。制服が汚れる。第一、そんな事をしたら痛いだろう?」

ソファの足は大して高くないからと思って提案したら、即却下された。
先輩はじっと此方を見て考え込んでいたが、やがて何やら名案が浮かんだらしく、満足げに一人こくりと頷いた。

「じっとしていろよ?」
「え?」

そう言うと、手にしたチョコレートの尖端が当たらない様に注意しながら、私の膝の上にゆっくりと横向きに座った。
――――――――――。
…………………………。
…………て、…………あれ?
ええええええぇぇッッ!!!

「あ………の、先」
「よし、お前はそっちから食べろ。」

私の言葉に耳も貸さず、ちょこんと落ち着いた先輩は、問題解決とばかりに大層ご満悦な様子でプレッツェルを差し出した。
無意識、ですね?先輩……。
至近距離で煌めく紫色の瞳に、早く。と催促され、観念して菓子の先を軽く咥えると、先輩はそっと手を離した。
手を使わないルールに従って、先輩は私のシャツの襟元をぎゅっと掴んで小首を傾げると、もう片端に歯を立てた。
くちづけを連想させる動作に、胸が高鳴った。
集中している所為で伏せられた長い睫毛や透き通る白い肌、赫い唇から覗く真珠のような歯。
その総てで私を焦らす、意地悪な人。
先輩はカリカリという小さな音と共に少しずつ噛んでいたが、私が何もしないでいるのに気付くと、非難する様に僅かに目線を上げた。
そんな風に、挑発しないで欲しい。
仕方無しに一口だけ齧ると、先輩はまたカリリと端を噛み砕いた。
流石にこのままでは唇が触れると、私は慌てて上体を後ろへ下げた。
ところがプレッツェルを離し忘れた為に、一方を噛んでいた先輩もそのまま引っ張られて、結果、私達は背凭れから滑り落ちて座面に倒れた。
焼き菓子は折れ、残念ながらゲーム終了。



何はともあれ一安心して身体を起こすと、むぅと膨れっ面の先輩が腕組みをしていた。

「真面目にやれ!あと少しだったのに、お前が動いた所為で台無しだッ!!」
「真面目に。と言われましても……。」

あと少しでどうなっていたと思っているんですか?
みんなと話している時に、ミレイは意味有りげに笑っていたけど、そんな事には気付いていない様子。
私は、やれやれ。と溜息を吐いて、ここは一つ、先輩の為に苦言を呈する覚悟をした。

「先輩、あの」
「再試合を要求する!」
「………は?」

そう言うと、先輩は新しいプレッツェルを取り出して、再び私の膝の上に載った。
――――――――――。
………………………………。
やっぱりドキドキするけど、もう驚きません。
無意識に無防備で無自覚な先輩には、少し反省してもらう必要があると思う。
焼き菓子を差し出して、ほら早く。と責っ付く先輩の手首を掴むと、私は先端から一気に噛み砕いた。
先輩はびっくりして、あ。と、一声漏らしたけれど、無視。
すぐにチョコレートの部分を終えて、残りは先輩が摘んでいるプレーンの数センチだけになった。
構わず噛み進めると、油断して挿んでいた指を緩めたおかげで、最後まで美味しく御馳走になった。
正直、ちょっとだけ気が引けたけど、ぐっと心を鬼にして、私は掴んだ繊手を強引に引き寄せた。
そして…………。

「…ッ、痛……ジノ……?」

そっと唇を離すと、ほっそりとした白い手首の内に、映える鬱血痕が一つ。
先輩、ごめんなさい。
痛いから、意味があるんです。

「お仕置きです。」
「……え?」
「ねぇ、先輩……。この遊び、誰かとした?」

目を逸らさずに痕を舐めながら、極力冷たい声で言うと、先輩がびくりと肩を揺らした。
なかなか答えてくれないので、可愛い小指に歯を立てると、泣き出しそうな表情で首を振った。
そんな顔をされると、演技している側としては、大変辛いです。
でも、もう少しだけ。

「本当?」
「…………ああ。」
「誰とも?」
「…………して…いない…」
「じゃあ…これから先もずっと、私以外とはしないで。」

お願い。と告白の意味をこめて言い、わざと音を立てて指にキスをすると、一瞬驚いた後に、こくんと頷いた。
手を離すと先輩はほっとして、私が残した濃紫の痣をじっと見詰めた。
制服の袖に隠れる位置だけど、怒っているのかもしれない。

「……ごめんなさい……痛かったでしょう?」
「大丈夫だ……こんな事をされたのは初めてだったから、その…びっくりし」
「えぇッ!!初めて?!」

思わず出た大きな声に慌てて自分の口元を塞ぐと、先輩は、かぁ。と耳まで赤くなって下を向いてしまった。
どうしよう…………すごく嬉しい。
あ、でも先輩は黙ったままで……嫌……だったのかも……。
私は自分の膝の上に座ったまま、ぎゅっと拳を握り締めている先輩の顔を覗き込んだ。

「あの…先輩……?」
「…………お前も…」
「え?すみません、よく聞こえないんですけど……?」

尋ね返すと先輩はますます頬を赤らめて、私の結い髪を少し引いて耳元に唇を寄せると、小さな声で囁いた。

「お前も…これから先ずっと、俺以外に痕を付けるな……」

先輩は呆然とする私の指先に、ちゅ。と優しいキスをした。





Fin.