01. 

An Imperial Grant

―――盟約を破棄した某国が侵攻を企て、喫緊に大軍が配備された辺境の地では、一触即発の睨み合いが続いていた。
圧倒的な武力を背景とし、帝国側が優位に交渉を纏め上げ、事態は収束すると思われたが、僻地での膠着状態は三月余りに及んだ。
全権を委譲された将は、失策の責めを負って辞職したものの、中立を保っていた列強が俄かに動きを見せ始めた。
宰相は国際情勢の微妙な変化を逸早く察し、駐屯兵達の士気を鼓舞する意味合いからも、後継に円卓の上位三騎士を推挙した。
主席を中心に編成された少数の精鋭部隊は、先方が国境を踏み越えたのを機に迎撃を行い、見込まれた期間の凡そ四半分で凱歌を揚げた。





参集した貴顕紳士達による称賛の嵐の中、純白の三騎士は謁見の大広間を威風堂々進み出ると、優雅な所作で御前に跪いた。
玉座に頬杖を突いた第九十八代皇帝は、筆頭の簡潔な戦果報告に至極満悦し、労を犒うと共に褒賞の授与について触れた。
慰藉の言葉のみで下賜を固辞すると、礼儀を弁えた態度に一層の崇敬を博したが、帝王は聊か感興を殺がれ、辺りには白けた空気が漂った。

「流石の嗜み。ヴァルトシュタイン卿が、騎士の鏡と謳われるのも尤もですね…父上?」

勘気に慄く座を宥めるべく、傍に控えた第二皇子がさらり助け舟を出すと、群衆の間からは安堵の溜息が聞かれた。
折角の尊慮と宰相が重ねて所望を下問したが、壮年の実直な騎士は黙して忠節を重んじ、若輩の二人もまた此れに倣った。

「帝国最強の名に恥じない心掛けには感服するものの…やれやれ。然う頑なに辞退されると、途方に暮れて仕舞う。」
「翻って、礼を逸するとは重々存知致して居りますが、何卒ご寛恕ください。」
「……貴方らしいけれどね。」

端麗な面差しを僅かに曇らせたが、其れ以上は押し付けと悟り、ならば、ヴァインベルグ卿に御尋ねしようか?と穏やかな微笑みを湛えた。
膝を折って慇懃に目線を俯けた第三席の許へ歩み寄ると、皇子は静かに上体を傾け、幼少の可憐な姿さえ憶える馴染の騎士に囁いた。

「ジノ…君は子供の頃から慎み深く、私に我儘の一つも口にした例が無い。憚られる度、切なさに胸が締め付けられた。」
「……シュナイゼル殿下…」
「今般も、見事な活躍ぶりで勝利を収めたのだ。多少無理をせがまれても、聞き入れて遣りたい心境なのだが。」

未だ邪気無さの残る眩い金髪の将校は、思い掛けない告白に猶更畏まり、膝を突いた儘ひととき思案した。
注目が集まる中、やがて薄桃色の蠱惑的な唇から、滑らかな中音域の声で、
では…。と褒美を願い出た。

「凱旋を称えて催される舞踏会を、是非とも聖夜の前日に。……陛下、どうぞ御聞き届けを…」
「如何な地位や財を望むかと思えば…ジノ=ヴァインベルグよ、訳合いを聞こうか?」
「君が言う二十三日は、降誕祭の休暇直前…仕事納めで、政庁が繁忙を極める日だ。」
「充分承知しています。ですが…此度の戦線で、最も勇猛果敢に指揮を執った英雄の誕生をこそ、祝福して頂きたいのです。」
「……我が懐刀、ビスマルク=ヴァルトシュタイン。」

怪訝な表情で窺っていた皇帝と宰相は、漸う歳若い騎士の本懐を知り、第四席からも異存無しの返事を得ると、破顔一笑して承けた。
心温まる申し出と寛容な取計らい、また其れを成し得た筆頭の人徳に、居合わせた諸侯達は感嘆し、拍手喝采を送った。
名指しされて唯々瞠目するばかりの主席騎士だったが、興懐を挫く不粋は慎み、御意に添うべく深々項垂れて、謝意を示した。
熱狂渦巻く中、隻眼をちらり振り向けると、第三の席を預かる少年は咄嗟に首を竦め、無邪気な悪戯を謝す仕草でほんのり含羞んだ。



謁見の間は慶祝の華やかな雰囲気に包まれたが、宰相の副官が敢えて容喙の不躾を犯して懸念を告げると、忽ち興醒めた。

「カノン、調整は如何ともし難いのかい?」
「凱旋行進は兎も角、当初予定していた迎賓館での開催は、先ず無理でしょう。年始に掛けて、公式行事が執り行われます。」
「大聖堂での聖祭(ミサ)を控えて、本殿も降誕祭の深夜迄は慌ただしくなる……他の離宮では?」
「収容人数が格段に落ちます。また、何れも郊外に建てられている為、臨席なさる皇族方を護衛するには、憂慮が尽きません。」

列挙される不安材料に、第二皇子は悩ましげな溜息を吐いたが、後ろ背に威圧感のある帝王の視線を感じ、腕を組んで黙考した。
皇帝が苛立ちの気配で逆の肘掛けに頬杖を突くと、人々の間に増々緊張が走り、広間は水を打ったように静まり返った。
考え倦ねて、如何したものか…。と呟く宰相に、不興を買うと知らず妙案を誉めそやした周囲は、我が身に及ぶ皺寄せを案じた。

「恐れ乍ら…皇帝陛下、帝都の楽園と讃えられる丘陵の白亜城ならば、凱旋門を挟んで宮殿と対。警護にも好都合かと。」
「先々代の所領であったが、末の親王に賜り、現在は吸血鬼の居城となっておる筈……知らぬ卿ではあるまい、ナイト・オブ・スリー?」

意味あり気な策略を見抜いた今上の言葉を受け、拝謁に集った貴紳達は、一斉に円卓の第十席に座す橙髪の騎士を振り返った。
歳の離れた幼馴染の二人であったが、斯様な話は終ぞ承知せず、ルキアーノは当然の理不尽を覚え、端整な顔立ちを引き攣らせた。



嘗ての皇帝が最愛の妃に贈った別邸は、街の中心を臨む高台に建てられ、大都会に在りながら、豊かな自然の恵みを享受することが出来た。
足繁く渡る主君を守護する為、景観を損なわぬよう配慮した整備が行われ、不穏な要素は予め徹底的に排除された。
広大な敷地に佇む瀟洒な構えは人々を魅了し、度々社交の場としても提供され、招待客の胸に華麗な思い出を残した。
隠居した後、静かに晩年までを過ごし、亡き皇妃の許へと旅立つ間際、聡明な子息を介して軀の弱い孫娘に一切を譲った。
静養には最適なものの、年端も行かぬ深窓の令嬢が、粋を集めた建造物を永らく維持するのは容易無く、熟慮の末に、数ある客間を王侯貴族向けに差配させた。
稚い少女の可憐さは、やがて優雅で儚げな美しさへと昇華し、数多の貴公子達が旧離宮に住まう麗しい主に胸を焦がした。
情熱的な求婚は後を絶たなかったが、何時も病弱な軀を理由に憚り、忘れ得ぬ初戀の騎士と交わした密やかな約束を、ただ一途に想い続けた。
幾つもの季節が過ぎ、彼が武勲の誉れ輝く将官となった暁に、新に帝位を継いだ当代の許しを得て、誠実な二人は華燭の典を挙げた。
祝福の春から一年(ひととせ)の後、母親譲りの愛らしい嬰児(みどりご)を授かったが、虚弱な奥方は継嗣の成長を見届ける事無く、数年後に身罷った。
愛し子は心神耗弱となった父とも離別を余儀なくされ、幼くして由緒正しい武官の家柄を継いだ。
優秀な頭脳と豊かな才能に恵まれた歳若い名家の長に、誘惑の声は絶え間無く、やがて社交を口実に、亡き貴婦人所縁の古城を別邸とした。
表向きの本邸は帝都の中心に構えられていたが、軍籍を得てから足が遠ざかり、最高の栄誉を手にして以降は、終の住処と思い定めた。



「立地条件も建築規模も申し分ないが、さて…ブラッドリー卿の御許しを得られるだろうか?」

満場の大憂を第二皇子が口にすると、伺候に訪れた人々は、密々と騎士の冷淡な気質を噂した。
皇帝は臣下に無理強いする素振りも見せず、玉座に頬杖を突いた儘、僅かに口角を上げて、経過を傍観する立場を取った。
其処此処から聞こえる懸念が、次第に耳障りなざわめきとなる中、円卓の第三席は、離れて向かい合う幼馴染の名をそっと囁いた。
微かな声は忽ち掻き消され、桜色の唇が“ルキ…。”と小さく呼び掛ける動きのみを認めると、気高い城主は観念して肩を竦めた。
十番目の騎士がカツリ長靴を踏み出せば、謁見の広間は青褪めて慄いたが、予想を裏切る恭しい歓待の言葉が響くなり、一同は讃嘆した。