終業時刻を知らせる鐘が鳴り止むのを待ってから、三番目の騎士を訪ねようと廊下に出た僕は、聞き慣れた足音に振り返った。
「もう帰り?早いね…」
少し残念そうな顔に、丁度逢いに行く処だったと肩を竦め、灯りも其の儘に出てきた部屋へ招き入れた。
直ぐに紅茶を淹れようとしたが、此の後待ち合わせた人が居るから…。と遠慮を言って、僕にソファの隣を勧めた。
彼は深緑の外衣の内側から、細紐で結われたギフト・ボックスを取り出し、照れ隠しにひとつ咳払いをした。
「遅くなって仕舞ったけれど、受け取って貰えないかな?誕生日プレゼントなんだ。」
「ジノ…そんなに気を遣わなくても良かったのに……」
「素直な“おめでとう”の気持ちだと言ったら?」
「……ありがとう。すごく嬉しい。あの…実は僕も…」
制服の隠しに忍ばせた淡色の包み紙を手渡しすると、きょとんと無防備な顔の彼に、君と同じ事を考えていたんだ。と目論みを明かした。
二人は同時に吹き出し、子供時代宛らにプレゼントを交換し合った。
「此処で開けてみても良い?」
期待して蒼穹色の瞳を輝かせる彼に、駄目と言える筈も無く、僕はこくりと首を縦に振った。
細長い指で几帳面に包装を解くと、わぁ…。と口許で両手を合わせ、満面の笑顔を見せた。
天然石を連ねたサンキャッチャーは、手作りならではの精緻な細工に惹かれ、手に取った瞬間に金髪の騎士を思い浮かべた。
「魔除けの意味もあると聞いたんだけど……気に入って貰えた?」
「勿論!スザク、本当にありがとう!!何処に飾ろうかな…」
表面に刻まれた模様を撫ぜる嬉しそうな横顔に、僕はほっと溜息を吐いた。
僕も見たいな。と膝の上に置いた彼からの贈り物を指すと、小さく首肯し、緊張の面持ちで居住まいを正した。
紐の端を引くだけで息を潜めるものだから、蓋を開ける前に一応確認を取った。
「爆弾じゃないよね?」
「え……?」
冗談を真に受けて赤面し、三つ編みが撥ねる程強く否定する様子が、とても可愛らしかった。
思わず笑みを零して箱の中を窺うと、一冊の手帳が慎ましく控えていた。
長く使い込む程に深い味わいが出てくるのだろう、降ろしたての滑皮の表紙を開けば、其処に彼の気遣いを感じた。
優しい薄茶色のリフィルには見出しが付き、月と週の二種類の暦の後には、備忘用の頁や住所録が綴じられ、今直ぐ使える仕様になっていた。
「円卓を拝命してから毎日予定が目白押しだろう?携帯で管理しているのかとも思ったけれど……」
軍籍を得てから常に時間を意識した生活を送ってきたが、騎士の最高位に就いてからは、多忙を極めた。
大きな失態こそ免れたものの、急な予定変更や突発的な会議に、危うく遅刻し掛けた経験も少なくなかった。
機能的で洗練された贈り物を心から喜ぶと、彼も矢張り安堵の胸を撫で下ろし、漸う目許を寛げた。
「君が手帳を選ぶなんて、ちょっと意外…」
ぽつりと正直な感想を漏らした。
三番目の騎士は穏やかな表情をほんの少しだけ翳らせ、一呼吸置いた。
「……スザク…実は、先日の出来事がずっと気に掛かっていたんだ。」
え?と首を傾げると、彼は膝の上で絡めた両指を見詰めた儘、誕生会の計画を知る事となった午後の話を切り出した。
あの時何気無く自身を貶める言葉を口走った僕に、初めて強い語調で戒めた件で、言葉を躊躇った。
「スザクが此れ迄、どんな道程を歩んで来たのか知りもせず、感情的になって其れを否定した…」
「ジノ、君の意見は何も間違っていないよ。」
「冷静さを取り戻すと、自分の考えを押し付けて仕舞った事が、とても申し訳無くて……何と謝れば良いのか、ずっと途方に暮れていたんだ。」
「そんな些細な事を気にしていたの?」
悪戯っぽく片眉を上げて呆れ顔を向けると、複雑気な微苦笑を浮かべ、…ごめん。と小さな声で伝えた。
毎日顔を合わせていた筈なのに、気付いてあげられなかった僕も、同じ気持ちで優しい横顔を見詰めた。
「過去が辛く悲しいものだったとしても、未来は幸福でありますように。」
「ジノ……」
「そう願いをこめて、スザクには真っ新な手帳を贈ろうと決めたんだ。一年を振り返った時、素敵な思い出が記されていると嬉しいな。」
「君にとっても、ね。」
“誰かを想う。”…唯其れだけで、心が満たされ、失い掛けていた感覚が鮮やかに甦った。
贈られた装飾品を大切に持ち帰る後姿を、僕は廊下に佇んで最後まで見届けた。
専用機(ランスロット)に新たな機能を搭載する事が決まってから、此処暫く帰りが遅い日が続
いた。
今夜もやっと零時過ぎに解放され、下賜された屋敷に戻る頃には、軀の彼方此方から疲労が滲み出た。
漸く独りの気楽さを手にした僕は、誰にも気兼ね無くソファに寝転び、湯上りの火照りが冷める迄ゆったりと寛いだ。
やがて緩慢な瞬きと共に微睡が訪れ、部屋の様子も霞み始めたが、脇机の上に置いた鞄と紙袋に目を留めた。
僕は眠気払いに瞼を擦って起き上がり、中から滑革の手帳を取り出すと、もう一度最初の頁を捲った。
来月から始まる暦の五番目の数字を眺めながら、忘れ難い黒髪の少年を想い、どんな気持ちで此の日を迎えるのだろうと嘆息を漏らした。
残像を振り切る様に日付を辿り、秋深い月の中程で手を止めた。
瞳を閉じれば、明るく弾む声で僕の名を呼ぶ可憐な姿。
ユフィ…。
十一番目の数字にぽたりと落ちた滴を指で拭い、更に次の頁を開くと、ふわり微笑む金髪の騎士を思い描いた。
随分長い時間躊躇った僕は、挿された銀色の細筆を執り、倖せを願って、一年後の今日にそっと予定を書き込んだ。
願わくは、来年も君と一緒に―――。