01. 心拍数T

時刻は午後七時を過ぎた辺り。
生徒会室では、いつもの面々が全校生徒から寄せられた企画書を精査していた。
それは十日前の学力考査直後に、校内放送で突然言い渡された会長お得意のサプライズ。
来月十四日の学園創立記念日に、生徒全員が参加できるメインイベントを企画せよ。という趣旨のものだったのだが、問題なのは『採用された生徒の願いを一つ だけ叶えてやる。』という褒賞だ。
理事長の孫娘でもある会長ならではの魅力的な提案に、猫も杓子も立案に奔走していたが、こういう時は大抵生徒会が貧乏くじを引くのが織り込み済みだ。
アーサー捕獲騒動のような事は御免蒙りたいと切に願う。
それにしても提出期限が一週間しかなかったのに、会長が放送した五日後には殆ど総ての生徒が独自の企画書を寄越してきた。
みんな、余程お願いしたいことがあるらしい。
おかげで広い生徒会室が足の踏み場もない程で、聳え立つ紙の山を前に役員が格闘している有様だ。
会長はご満悦だが、俺は予算担当なので選別し終えた企画書をさらに吟味しなければならず、結果、いつも帰りが遅くなってロロに心配を掛けていた。



「あ、降ってきちゃったねぇ。雨。」

窓際で作業していた会長の声に、俺とシャーリーとリヴァルは顔を上げた。
陽が落ちたせいで雨雲に気付かなかったが、窓硝子にはポツポツと滴が筋を引いて流れ落ちていた。
立ち上がって外を見ながら、シャーリーが溜息を吐いた。

「本当だ。天気予報、降りだすのは夜遅くからって言っていたから、傘持って来なかったなぁ。」
「俺も!どうしようかな。購買部って七時までだったっけ?」

そんな二人の困惑した様子に、会長が救いの手を差し伸べた。

「ほらほら、そんな顔しないの!私の傘、貸してあげるから。ね?」

そう言って、ロッカーから折りたたみ傘を取り出してリヴァルに渡し、机脇に立掛けてあった自分の傘をシャーリーに差し出した。
いつも破天荒な行事を計画しては周りを巻き込むが、その実、会長はとても面倒見が良い。
だから、シャーリーが躊躇うのも見越して、きちんとフォローする。

「私はリヴァルに送ってもらおうかなぁ……なんて、ね。」
「ぇえぇぇ?!」
「あら、迷惑だった?」
「そ、そそそそそんな事ないないない!!ないって!不肖このリヴァル=カルデモンド、全力でミレイ嬢をご自宅までお送り致しますっ!!」

悪戯っぽく笑う会長に乗せられて見事な宣言をしたリヴァルに、俺とシャーリーは噴き出した。
部屋の空気が一気に和む。

「じゃあ、傘、交換しようよ。二人ならこっちの方が濡れないよ?」

シャーリーは自分の傘をリヴァルに渡して、にっこりと笑った。

「さ、今日はもうこれでお終いにしましょ。」
「そうですね。今ならまだ雨、小降りだし。」

会長の言葉に、二人は机の上を片付け始めた。

「ルルちゃんは、持って来たの?傘。」
「生憎。でも、クラブハウスまでですから。あと少しでこれが終わるし、俺はまだ残りますよ。」

目を通していた書類を指しながら会長に言うと、リヴァルが声を掛けた。

「おいおいルルーシュ、無理すんなよ。予算なら、最後にみんなで手分けしてやれば良いんだぜ?」
「ああ。分かっている。」
「あんまり遅くなると、またロロ君が心配するよ?」

シャーリーの意見に会長とリヴァルも同調したが、俺は感謝しつつも大丈夫だと答えた。

「昼休みに、新しく出来た友達の家に泊りたいと言ってきたからOKしたんだ。今のうちに仕事を片付けて、帰ってきたらゆっくり話を聞いてやりたいと思って さ。」
「そっかぁ。」
「仕方が無いわねぇ。」

そう言うと、会長はブレザーのポケットから生徒会室の鍵を取り出し、そっと俺の手元に置いた。

「それが終わったら、ちゃんと帰りなさいよ?」
「ええ、そうします。」





リヴァル達が帰って小一時間が過ぎた。
俺はチェックし終えた企画書をファイリングして、キャビネットに仕舞った。
降り出した雨はあれから次第に激しくなって、クラブハウスまで走ったとしても濡れ鼠は免れないだろう。
やれやれ。と肩を落としながら戸締りをして、生徒会室を後にした。
廊下の照明は残されていたものの、人気のない校舎は雨音だけが反響して、自分独りが取り残されたような錯覚に陥る。
今この瞬間にも、世界の何処かで戦争が起きているとは思えない程、静か。



雨滴の音を聞きながら一階へと続く階段を下りると、視線の先に白い人影が立っていた。

「ジノ?!」

驚いて声を掛けると、ジノは組んでいた腕を解き、凭れていた壁から背を離して此方へ歩み寄った。

「どうしたんだ、こんな時間に?しかも、その格好……」

ラウンズの制服を着込んだ姿よりも、いつもの人懐こい笑みが無いことに俺は内心焦った。
問い掛けに答えないジノに、どんな不測の事態が起きたのかと固唾を呑んだ。
まさか、ゼロの正体が俺だとばれたのか?
だとしたら、俺の記憶を疑っているスザクが絡んでいる可能性は高い。
学園で会う時は多少手の焼ける後輩の顔をしているが、実戦でのジノはその卓越した技量で黒の騎士団を脅かす厄介な存在だ。
KMF操作に関しては抜群のセンスを発揮するが、それだけで『3』の称号を与えられているとは思えない。
監視には神経を使ってきたが、小さな綻びも見逃さない切れ者だとしたら……。
アッシュフォードに編入してきた目的は、やはり俺か。

―――と、ジノが口を開いた。

「お待ち致しておりました。」
「……え?」

優雅に最敬礼するジノを見て、よもや暴露したのは俺の出自かと勘繰った。
皇子である事実を知る数少ない人間のうち、最も警戒すべきあの男……ブリタニア皇帝の、ジノは直属の騎士。
単独でこの時間を選んで捕縛しに来たという事は、ゼロが皇族であることを他に隠蔽するためか。
拙い。
ナナリーは無事なのか……?!
くそっ。
何れにしても、また記憶を弄られる訳にはいかない。
どうすれば良い!?
この状況を脱するために、使うべきなのか……今、ギアスを。



俺が必死に策を練っていると、俯いたジノの口元からクスクスと笑い声が漏れてきた。
今度はどうしたのかと訝しがっていると、鎖骨の辺りに垂れている三つ編が何やら楽しげに揺れている。
そして、堪えかねたように手袋をした指で目元を拭った。
まさかコイツ、ふざけて……?!

「おい、何の冗談だ!!」

力任せに襟元を引き上げると、お馴染みの目映い笑顔が現れた。
この無駄にキラキラした兇器に、いつも撃墜される。

「あはははははは。吃驚しました?もう先輩ったら、急に真面目な顔して固まるんだから!そこは軽くノってくれないと。」

涙を溜めて腹を抱えるジノに、俺は不機嫌極まりない表情を向けた。
黙っていると男らしくて端正な顔立ちなのに、口を開くと会長とは別の意味で周りを巻き込むタイプで、俺から見ればまるでイレギュラーの権化だ。
名門貴族の四男とあっては一般市民の生活に疎くても仕方ないが、興味を抱くと驚くべき胆略で十中八九、騒動を引き起こすのだ。
そして、何故かその矛先がやたら俺に向けられる。

「そんなに怒らないでくださいよ、ね?先輩。」

折角の美人が台無し。とか何とか言いながら、ジノは俺の両頬を軽く摘んだ。
出会った頃はこの過剰なスキンシップを頑なに拒絶していたのだが、軍人の顔を持つジノの精神衛生を多少慮って仏心を出して以来、この様だ。
尤も、俺が辛辣な言葉を浴びせたところで、全く挫けなかったのだが。
ジノは、ふにふにと俺の頬を摘んでいたかと思うと、はた、と此方を覗き込んでまた肩を震わせた。

「うわぁ先輩、すっごく可愛い……」
「好い加減にしろ!!」

三大口癖『綺麗・可愛い・大好き』の一つが出てきたところで、どうにも腹に据えかねて俺は怒りの声を上げた。
ジノは両手をパッと離し、大きな体をシュンとさせて小さくゴメンナサイ。と言った。
明るくて素直なのは認めるが、放っておくと歯止めが利かなくなるのが玉に瑕だ。
おい…叱られたからって、その潤んだ目は止めろ。



「でも、先輩を待っていたのは本当なんですよ?」

ジノはそう言って、おずおずと小さな封筒を差し出した。

「ラブレターです。」
「…………は?」

―――余りの急展開に、頭をフル稼働させても追いつけない。
くそっ……侮れんな、円卓の騎士。
今、確かに『ラブレター』と言ったよな?
このシチュエーションで確認したいのだが……それは誰が誰に宛てたものなんだ?
二人の間に、非常に気まずい沈黙が流れる。
受け取るべきか否か逡巡していると、アーニャからです。と強引に手渡された。

「先輩……俺、アーニャのことは妹同然だと思っているんです……だから…だから先輩ッ!」

俺の両肩に手を置いたジノが悲痛な面持ちで、アイツを倖せに…と言い出したので慌てて口を押さえる。
待て待て待て。

「ちょっと待て。一方的に結論を出すな。そもそも、俺の意思はどうなるんだ?」

それに第一、まだ封も切っていないというのに。と抗議しようとしたら、ジノの射るような眼差しとぶつかった。

「意思?」

ジノは綺麗な空色の瞳を僅かに細めただけだったが、その奥に揺らぐ怒気に身が竦んだ。

「へぇ……先輩、彼女……いたんですか?初耳だな。」

口を塞いでいた俺の手を掴むと、それまでとは違う威圧的な低い声で言った。
俺は言葉に詰まり、視線を足元に落とした。

「それって、シャーリー先輩…?」

冷然とした雰囲気に顔を上げることが出来ず、俺はぎこちなく首を左右に振って答えた。

「じゃあ、ミレイ?」

違う。

「クラスメイト?」

それも、違う。
詰問する口調に苛立ちが滲み、俺は焦燥に駆られた。
握られたジノの手にギリリと力が入り、堪らず顔を顰めた。

「彼女…とか、特定の相手、は、いない……けど……、少しだけ…気になる人、が……い る…」

やっとの思いで言葉にすると、ジノはハッとして俺の手を解放した。
離された手首には、薄く朱の痕が残った。
ジノは切な気な顔をして、微かな声で、ごめんなさい。と言った。
俺が頷くと、安堵したように普段の表情を取り戻した。
アーニャから頼まれていたのなら、そのことで責任を感じていたのかもしれない。
俺はなるべくアーニャを傷つけず、且つジノの負担を軽減するために口を開いた。

「すまない……アーニャのことは可愛いと思っているんだが、その……」

俺が必死で投げかける言葉を探していると、ジノがまたしても突拍子も無くクスクスと笑い出した。
先程と同じ様に噴き出すのを見て、今度は俺がハッとした。
またしても、やられた!!

「いやいやいや、冗談です…ごめんなさい、先輩。そんな困った顔しないでください。リミッター、振り切れちゃうから!」

案の定、ジノは涙声になりながら悪ふざけを告白した。
また頬を触ろうとする手を払いのけ、俺は怒りに任せて金色の三つ編みを思い切り引っ張った。

「痛あッ!!」
「自業自得だ、この馬鹿者!」

聞けば封筒の中身は創立記念祭の企画書で、なかなか時間が取れないからと、スザクも合わせて三人連名での提出だと言う。
他の二人よりも早く任務を終えたジノが、それを仕事帰りに持ってきたという話だ。
ふと、スザクは休学中なのに。と思っていたら、どうやら会長が直々に連絡したらしい。
俺は了解して封筒を鞄に仕舞った。