03. dolceT

あの夜から五日。
リヴァル達と昼食を楽しんでいる最中に、俺はアーニャからのメールを受け取った。
本国での任務を終えて、明日にはジノと一緒に学園に来られそうだとの事。
その場に居た会長やシャーリーにも伝えると、口々に再会を待ちわびる声が上がった。
生徒会役員全員が揃って顔を合わせたのは、もう十日も前のことだ。
二人とも学園生活を気に入っている様子だが、本職が別にあるせいで、一週間休まずに通えた例が無い。
黒の騎士団も、表立った活動は暫く予定していないから、少しは楽しませてやりたいものだ。



そんな事を考えていたら、会長が俺の腕を引いてみんなに背を向けた。
そして小声で、この間は、どうだったの?と聞いてきた。

「ジノと会ったんでしょう?ルルちゃんが傘持ってないことを話したら、待つって返事だったから。」
「ああ、会いましたよ。ただ、困ったことに傘が一本しかなかったから、それで」
「それで?」

言いかけて、俺は思わず息を呑んだ。
会長の瞳がこんな風にキラキラと輝いている時は、経験則から、大抵善からぬ方向へ事が進むと分かっているからだ。
うっかり口を滑らせようものなら、痛い目に遭う。

「……俺の家まで送った後に帰りましたよ。」

食事をして遅くなったけど。とは、絶対に言えない。

「そう。で、ジノはちゃんと送り狼になれたのかしら?」
「な!ななななな何を言っているんですか!!お、狼って?!」

そんな物騒なモノになられて堪るか!
大体ジノが送ってくれたのは全くの善意からで、そんな不純な単語が出てくるとは、会長、貴女は一体……。
思考を読めるギアスでも…………いや、それは別人。

「ふふふ。ルルーシュって本当に可愛いわ。ジノは邪な情動を抑え切れたようね。」
「何の話ですか?!」
「しっとりと濡れる宵の口。人のいなくなった校舎。朧な街灯。囁く声。見詰め合う二人。」

会長は俺の首に片腕を巻いて強引に脇に押さえ込むと、滔々と語りだした。
囁いてなければ、見詰め合ってもいない!!
誰か会長を止めてくれ!

「こんなに無防備な小鹿ちゃんを前にして、ある意味、地獄の責め苦よね。流石ラウンズ、良くぞ凌いだ!でも外敵が多くて、援護射撃も大変なんだけど なぁ…。」

と、溜息を吐きながら仰いますけど、あの、会長…当たっています……その…胸、が。
後ろから、ものすごくリヴァルの視線を感じる。

「会長、苦し……!」

妙な体勢でもがいていると、携帯が鳴った。





黒の騎士団からの連絡だと思った俺は、会長が驚いて手を離した隙に、校舎裏まで走って逃げた。
くそ、息が……。
急いで携帯に変声機を取り付けようとしたが、発信元が表示されていない。

「…………もしもし。」
『先輩?』
「ジ、ジジジジジジノ?!」
『ジは一個で良いですよ、ルルルルルルルーシュ先輩。』

そう笑うジノの明るい声が少し懐かしくて、穏やかな気持ちになる。
白状すると、一週間にも満たない不在でも、心の中はすっかり錆付いてしまっていた。

「すまない、吃驚してしまって。その……誰からの電話か分からなかったから。掛けてくれたの、初めてだろう?」

俺が休んでいた時に、ジノとアーニャは他のみんなと連絡先を交換し合ったそうだ。
リヴァルが俺の番号を教えておいてくれたが、此方から二人の番号を人伝に聞くのも悪い気がして、何となくタイミングを逃した格好になっていた。
アーニャからは直ぐにメールが来たおかげでアドレスを知ることが出来たが、ジノの連絡先は何も知らなかった。

『アーニャから、ついさっき先輩にメールしたって聞いて。いつの間にそんなに仲良くなったんですか?』
「最近だ。アーニャは本当に携帯依存症だな。お前の画像も時々送ってくるぞ。」
『えぇ?!本当ですか?それは聞いてない!!一体どんな写真が……』
「アーニャに肖像権を主張しても無駄だ。放棄しろ。」

電話の向こうから、私の勝手。と呟く声が聞こえて、頬が緩んだ。
続いてシャッターが切られる音がして、ジノがアーニャ!と困惑した様に注意した。
ルルーシュに送る。と平然と言う声に、またコレクションが増えるなと俺はメモリーの容量を心配した。

「お前たちはいつも仲が良くて、楽しそうだな。」
『ジノに付き合ってあげるの、大変。私、本当に仲良くなりたいのは、ルルーシュなのに。』

急にアーニャが電話口に出て、どうやらジノは携帯を横取りされたらしい。
きっと悔しそうな顔をしているのだろう。

「ははは、それは光栄だな。ありがとうアーニャ。是非とも仲良くしてくれ。」
『…………』

黙ってしまったが、何か変な事を言ったか?.
顔が見えないと、アーニャとは余計に意思の疎通が難しいな。

『もしもし。先輩、アーニャに何て言ったの?顔を赤くして、物凄いスピードで出て行ったんだけど……』
「何!!礼を言っただけだぞ?!」

遠く離れている筈なのに、直ぐ傍でジノの笑い声が聞こえて、それだけで満たされた。
ずっと話していたかったが、遠くで予鈴が鳴った。

「そろそろ授業が始まるから、もう切るぞ?アーニャには明日、話す時間を作ると伝えてくれ。」
『あ、待って先輩。』
「ん?」
『今夜、出掛けませんか?』

一呼吸置いて、ジノはそう言った。





食事を終えたロロが自分の部屋に戻るのを見届けて、俺は冷めた紅茶を一口飲んだ。
約束の時間まで、あと少し。
数日前にジノが座っていた椅子を見ながら、俺は自分が誘いに乗った明確な答えを出せずにいた。
第一印象は、大人びた外見をしているが人懐こく快活で、自分とは真逆のタイプ。
お祭り好きな会長に、ちょっと似ていると思った。
ブリタニア皇帝の騎士『ナイト・オブ・ラウンズ』のNO.3で、ゼロである俺の……ジノは、敵だ。
暫くは、正体を悟られない様に神経を尖らせて、極力接触を避けていた。
身分違いだとして、ファーストネームで呼ぶことを拒み、敬語で話した。
頑なな態度にジノは気落ちした様子で、それを見たリヴァル達は、幾度となく俺を説得した。
同じ扱いを受けていたアーニャが、自分よりもジノの事を慮って、可哀相。と涙目で訴えてきて、流石に観念したのだが。



―――あの日、俺は連日の睡眠不足が祟って体調が優れず、早退するところだった。
帰る前に図書館に立ち寄ると、書架の陰に置かれた席にジノがいた。
教科書とノートを開いて、苦戦しているのかと思いきや、さらさらと鉛筆が動いて頁が繰られていく。
明朗な姿しか見たことがなかった俺は、声を掛けるべきか逡巡した。
窓から差す光に透ける金色の髪や伏せた青い瞳、その静かな佇まいを壊してしまうのは、惜しい気がしたのだ。
見惚れていたらしい俺に気付いたジノが、こんにちは。と唇を動かした。
利用者はまばらだったが、場所柄を弁えて、奥のジノの席へと近づいた。

「こんな時間にどうしたんですか?」
「こんな時間にどうしたんですか?」

二人同時に同じ言葉を口にして、互いに顔が綻んだ。
俺はアーニャを思い出し、まだ口調が固いままだと密かに反省した。

「仕事が終わって来たんですけど、授業中に教室に入るのは気が引けて。」

次が始まるまで、出された課題に専念していたのだとジノは話した。
登校が不規則なせいで、出席日数が足りずに単位が危ないと聞いて、俺と何処かの誰かも、同じような経験をしたのを思い出した。

「授業には、ついて行けているのか?」
「凡そは。ただ、この教科は言葉が分かりづらくて悪戦苦闘しています。」
「古典か?これは、『源氏』だな。『明石』の巻か……』
「現代文ならスザクに教えてもらえるけど、古文は苦手みたいで。」
「提出期限はいつまでだ?」

言いながら、俺は近くにあった椅子を引いて隣に座った。

「少しは、教えてやれる事があるかもしれない。」

申し出ると、唖然としていたジノは慌てて首を振った。
丁寧に結われた髪が跳ねて、そんなに全力で固辞されると立場が無いな。と胸の内で苦笑した。

「あの、先輩…大丈夫です。締め切りは来月だから、そんなに急いでいる訳じゃないんです。」
「つまずいているのは、文法か。助動詞は完璧なようだな。問題のこの動詞は、活用語尾によって変則的に」

ジノは多少混乱した面持ちで此方を窺っていた。
今までの手酷い応対を振り返れば尤もな話で、俺にはそれなりの説明責任が課せられていたが、面倒だとも思った。

「宗旨替えだ。」
「え?」
「…………不満か?」

まさか。とジノは答えたが、頭の中は疑問符で一杯といった体。
俺は、意地悪くそれを無視する。

「だったら、勉強に集中しろ。ラウンズが留年なんて、後々までの語り種になるぞ。」

考えると可笑しくて、それは困る。とジノも破顔した。



警戒を緩めてしまえば、自分がずっと前からジノを気に掛けていた事を思い知り、俺は線引きに悩んだ。
交際を急かされる様な事は決してなかったが、気付けば何時でも其処に自分の居場所があるという事実は、掛け値無しに心地良かった。
正体が露見すれば破綻すると解していながら、日を追う毎に仲を深めた。
片恋に焦がれたりしなければ、背信など何の痛痒も感じなかったものを。
裏切らない為にも、隠し果さなければならないという欺瞞と陋劣さに、反吐が出た。
俺は、狡猾だ。
それ故に、嘘よりも酷い仕打ちを選ばざるを得なかった。