円卓の第三席を預かるジノ=ヴァインベルグが職務最中に体調を崩し、心配顔揃えた同輩達が、病軀に鞭打つ構えを如何にか宥め賺して大事を
取らせ、一週間。
叙任後早々の不手際、忸怩たる思いから、療養休暇明け待ち侘びての早朝出勤敢行した騎士も、正午報せる鐘の音に漸う羽根筆を擱いた。
士官学校時代の同期生達が御機嫌伺い兼ねて執務室訪ねれば、春の陽気然ながら談笑の声弾ませ、連れ立って階下へ向かった。
帝国軍が堂々胸を張る大食堂(カフェテリア)は、神話を模った優美な噴水配す中庭に臨み、四季折々に情趣豊かな景色と本式も一流で堪能できる、羽根休めの
大樹であった。
極上の質、豊富に取り揃えた献立と存分な量で、初々しい士官候補生から円卓の騎士に至る迄、軍事関係者は言うに及ばず、政務執る面々も屡寛ぎに足を運ん
だ。
慌ただしい時間帯、一群に純白の制服姿瞥見しては、不調を存知の黒前掛け達、然り気無く昼餉装い乍ら、慮って給仕の素振りでそよぐ梢の下を仄めかした。
素直に頤逸らせば如何やら其処が指定席らしく、硝子折戸から芝敷きへと続く雛壇(テラス)席の最南端、深緑の葉音下置かれた見事な一枚板の卓で、円卓の第
十席(ナイト・オブ・テン)は可憐な部下達と食事を囲んで居た。
旧友達は回避を目配せしたが、煙る金髪の騎士は、手渡された病後労わる優しい取分けの白磁に感謝しつゝも、莞爾と歳上の左隣に相席願うと言い置いて、其方
へと黒長靴踏み出した。
喫驚して翻意促す聲数多、撓やかな肩端越しに木漏れ日の微笑湛えれば、同窓生達は不意搏たれて顔見合わせ、先行く細結い揺れる後背に倣った。
「隣、空いてる…?」
言葉後では許諾を求めても返事待ちの素振り無く、誰彼もが完璧な着熟しの騎士服を憚った左翼に、円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)は優雅腰を下ろし
た。
然うして木目の美しい卓に片肘、顎載せれば地獄に棲まう魔王も極致の伏せ横目、先日は本当に有難う。と鼻にかかった蕩ける音域で囁いた。
絵本に登場する王子様然とした金髪碧眼の端正な貌立ちも、微か口角上げる蠱惑的な仕草すれば、辺りで歓談して居た人々は其の大胆不敵さに度肝を抜かれた。
残虐非道と名高い円卓の騎士、ルキアーノ=ブラッドリー…………を挟んだ右横で、眩暈するほどの男振りに頬染めつゝ、マリーカ=ソレイシィは如何様為すべ
きか戸惑いを覚えた。
「君の手厚い看護の御陰で、斯うして元気に復職する事が出来ました。是非とも、御礼をさせて頂きたいのですが…」
「あ、あの…ヴァインベルグ卿、私は当然の事を致した迄です。其の様な御気遣いは……」
「ジノ、だよ…マリーカさん。」
「ジ、ジノさ、ま……?」
「若し御時間が宜しければ、今度の週末、歌劇(オペラ)に出掛けませんか?帝立交響楽団の首席奏者(コンサートマスター)も絶賛する歌手(ソプラノ)を、
存分に堪能できる一幕が上演中で…其処の歌劇場は夜になれば燈火が灯され、幻想的な外観は、時計の針を忘れて仕舞うほど綺麗なんですよ。」
思春期真っ只中の凛々しい少年とうら若き乙女とが、春爛漫、楽しげに御喋りする様は大変微笑ましい光景だが、戦慄の異名持つ第十席直属の部下を、其の眼前
で堂々口説きに掛かれば、一同忽ち青褪めた。
気品と精悍さ兼ね備えた円卓第三の騎士に胸高鳴るも、平然と隣座す上職に内々指示を仰ぐ処か最早瞥見すら敵わず、少女は遂にまるい瞳一杯泪を浮かべた。
「ごめんなさい。貴女をそんな風に悲しませる積りは、毛頭無かった。ねぇ、泣かないで…。」
円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)も流石に遣り過ぎたと感じて狼狽の聲、彼女が俯けた睫毛震わせれば、真横からすらり長い指先が眶の温かな雫を
拭った。
喫驚に上目遣い、其処には敬慕尽きぬ上官が腕組みしてやゝの呆れ貌。
泣くな。と窘めた艶帯びた声の深みを、固唾を呑んで窺って居た誰もが優しさと解釈したが、血泥塗れた二つ名から大きく懸け離れ、如何ともし難い矛盾に衝撃
を受けた。
感激して重ねの十指で口許覆った少女に、生粋の野性纏った秀麗な彼、内隠しから几帳面な折の手巾寄越すと、極まって逞しい胸に花の顔を埋めた。
細腰聢と抱き留めたルキアーノ=ブラッドリーが、未だ熟れぬ様だな。と左舷翻して悪戯気に流し目すれば、三番目の騎士大仰に肩竦め、遂には二人、堪え切れ
ず噴出した。
歳下の挑発的行為が何時“人殺しの天才”の逆鱗に触れるかと、戦々恐々としていた周囲は彼等の親密振りに愕然、大食堂(カフェテリア)が平素の活気取り戻
す迄には少しく時間が掛かった。
「……で?」
「彼女にきちんと御礼を言いたかったのは、本当…勿論、君にも…ね。当然、唯其れ丈では無いけれど…ルキアーノ、既に察しが付いて居る筈だ。」
「巷賑わす風説の事か…どうせ近々忘却の彼方。打ち捨てておけ。」
「假に然うだとしても、到底見過ごせ無い。君の所為で、私が療治強いられたなんて…」
「実際其のとおりだ。」
然したる興味示さず澹泊な口振りで返すも、四本歯で固茹(アルデンテ)巻く円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)は物憂げな面持ち、…non.と溜め息混
じりに緩々頭の左右。
橙髪の騎士が利き手反対に清涼な天然水傾け砕氷の響き、左横一瞥すれば見事着込んだ純白の制服下、聊か細った體に気付いて内心舌打ちした。
「違う。……云われてゐる様な虐待なんて、受けて無い。」
「噂とは然うしたものだ。微塵も与り知らぬ癖、感興赴く儘に過分な脚色…尤も、邪慳な遇いは事実に相違無いが。」
「加療を要するに至ったのは、惑溺からの加減誤りに拠る処…放置し難い誤解だ。」
気鬱から滞り気味な食事の手、最早放棄しては膝置きの二つ折りで唇清め、御終いの作法。
給仕が心得て控え目誂えた白磁だったが、厳選素材の細麺(スパゲッティ)も新鮮な生野菜(サラダ)も半量以上が残され、焼きたて香る薄切りの麺麭(バゲッ
ト)に至っては全き手付かずだった。
唯一、風味豊かな琥珀の澄まし(コンソメスープ)は食し果せたものゝ、凡そ激務に堪え得る滋養と熱量では無く、第十席は再発危惧して当然の顰め面。
「完治したというのは嘘だったのか?」
「……胃が少々荒れて仕舞ったんだ。喉からの微熱は未だ鳥渡残って居るけれど、直に癒える…一時に総ては治らないよ。」
「だったら、休暇を延長しろ。」
「厭だ。服用も言い付も遵守して居る…本音としては、既に日にち薬と為たい処だ。」
「註射嫌いの癖に、また点滴の世話になりたいのか?」
「厭と言ったら厭…絶対に厭だ。註射は厭だけど、其方はもっと厭だ。」
駄々を捏ねる子どもの様な口振りに、飯も碌に喰え無いで。と業腹、右頬抓り上げて厳罰に処す積りが、触れた白皙に微かな火照り感じてそろり撫ぜた。
耳翼の裏から頤へとすらり中指這わせれば、燻る熱に愁眉、病臥し明けの歳下も其の気遣いを無碍には出来ず、睫毛俯け萎れては、小さく謝罪の意を伝えた。
「其れ丈は、如何しても厭なんだ。検温と測拍に一喜一憂し乍ら錠剤の減りのみを慰め、巷説に耳塞ぐなんて…」
苛立ち任せ掻き上げた黄金の前髪が、さらさらと春の雪崩、焦れる端正な相貌に色香を添えた。
やれやれ。歳上の騎士は腕組み解いて、聊か気遅れする残載った小盆を右隣のマリーカとリーライナに手渡し、密々と何事かを指図した。
崇拝する上官の命に可憐な部下達は二つ返事、Yes, My lord.と恭しく膝折って直ぐ様其の場を離れた。
「如何にも、円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)が下位の十席から虐げられたとは、甚だ不名誉…同情の念を禁じ得無い。」
「ルキアーノ!!」
戯けて長嘆しつゝ顎左右振れば、真新しい純白の騎士服激高して大聲、再び四囲の怪訝な註目集めるも一向構わず、眉間に深く皺寄せた悲憤の面持ち向けた。
頬杖突いて半身左傾げに窘める仕草も、歳下のきつく握られた五指戦慄き、ルキアーノ=ブラッドリーは淡紫の双眸を細めた。
「円卓の席次は才腕に倣わない…存知の筈だ。其んな俗世の不認知に、私が数日来煩悶して居ると?!」
「……然う、逆毛立つな。」
「君が何様な異名を取ろうと、其処に畏敬の念が籠められて居るのなら、辛くも往なす事が出来ただろう。だが、今般流布された内容は、たとえ巷談であっても
是正を要す。君の威信を穢すものは、如何なる些事も看過出来ない…厭だ。左様な屈辱堪えられない…厭なんだ。」
袂別から三つ歳の空白経て猶褪せぬ高潔な情動は、最早友愛の範疇を超えた深い慈悲、少年の不滅の本體に円卓の第十席(ナイト・オブ・テン)は聢と内奥搏た
れた。
幼さの残る白い頬に情熱仄か、憧憬から長い細指先でさらり撫ぜれば、煙る金髪の少年は諭しと心得違い、怒鳴ったりして悪かった…ごめん。と小聲、視線を手許に遣った。
稚い時分に双親失くした橙髪の騎士は、物心付くより先に名門を背負って必至の早熟、特権階級の煌びやかな暇面下隠し持つ腹黒さに通じて、絶え間無い阿諛追
従から身を躱し続けた。
他人から侮蔑されようと何ら痛痒を感じず、時折気紛れに白刃の嘲笑で返せば、相手は其の鋭利な切っ先に立ち所萎え、無謀な煽りを羨望に因る嫉妬と思い知っ
た。
由緒正しい軍閥の雄たる父系と皇統へと続く母系、今日日語り継がれる伝説の英雄を父に、皇帝が冀った美貌の歌姫を母とする遺児は、眉目秀麗なる才穎にして
万事に興醒めた社交界の寵児であった。
破滅的な馨纏うルキアーノ=ブラッドリーが、生涯唯一膝折って誓約交した心腹の友は、左隣にそっと寄添う縹の瞳―――八つ歳上、やわらかな木漏れ日の微笑
恋しがり、琥珀の後頭を優しく二度撫でた。
華奢で大きな左手の慰めに素直愁眉開く様ちらと見遣り、さて……。と頬杖を突いた儘に人差し指唇擦らせ、円卓の第十席(ナイト・オブ・テン)は少しく思考
に耽った。
彼の隣座す眩い金髪の騎士もまた、腕組みした片手指で鼻梁の始点脇をトントンと軽打ち、同様に可及的速やか奏功する策を模索した。
「虚説の出所は凡そ目星が付いて居る。つい今し方、揺さ振りは掛けて置いたが…一人歩きした先々に迄火消が及ぶには、幾分時間が要ろう。」
「随分と捌けて居るね…では、もう少し欲を掻いて、世間が事実をすんなり受容れる為、我々が反目し合って居ないと大々的に周知したい処。」
「問題は其の方法だ。即効性を期待し得るか…」
流言蜚語など持って精々九日…密か鼻で嗤うも、虚空睥睨する蒼穹の眼差しに気勢、如何やら其れ程悠長に構えては居られない模様と、今一度くすり零した。
穏やかな春の風が立ち、初戀に頬染める乙女のように梢がそよいだ。
「隣合わせで閻魔顔拵えては、愈々憶測を呼びますわ。」
「え?あゝ、つい嵌まり込んで仕舞って…其れは拙かった。」
「……生粋。」
気配消しの歩寄りにも如何な動じず、頬杖突いた姿勢其の儘流し目さえ呉れ無い二人を、存外似た者同士なのかも。と円卓の第十二席(ナイト・オブ・トゥエル
ヴ)は涼やかな眦綻ばせた。
美容と健康に深く配慮された昼餉の小盆(トレイ)持った彼女は、同輩達の向い席に腰下すと、大きく顎の左右して誰彼かの所在窺う素振り。
「一両日中に、雲散霧消と成りましょう。」
「え?!本当ですか?…如何して?」
「御気付きでは…?噂が噂な丈に周囲は並々ならぬ関心を寄せ、先程から絶えず熱い眼差しが送らてゐましてよ?」
モニカ=クルシェフスキーの言葉を受けて三番目の騎士が訝し気見渡せば、途端に其れ迄無遠慮註がれて居た数多の視線が逸らされた。
金色流れ落つ艶髪の美少女は、両肘を突いて絡めた十指の上小さな頤載せ、ふふふ。と嫣然一笑。
「鳥渡、聲が過ぎたかな…?」
「一人でも衆目を集める円卓(ラウンズ)が、二人揃えば厭でも然う成る。」
「三人ならもっと、ですわね。」
つぶらな瞳を悪戯気に眇める彼女に、精悍な騎士達はちらと熟視め合っては外方、手の甲で口許隠しつゝもクスクス小刻み肩揺すった。
仲睦まじい年離れた幼馴染の両雄を、一帯は再々好奇の覗き見、広く喧伝された事柄との齟齬に順繰り首を傾げた。
「親密な御関係に、世界は瞠目…いずれ真相も詳らか。」
「隠立てする積りは無かったのですが…何と申し上げればよいか…卿に少々事情が御在りで。」
「まぁ…左様で御座いましたか。私も過日の件迄は気心相容れない御二人なのかと思っていた処、陛下と首席騎士(ナイト・オブ・ワン)以外に、“ブリタニアの
吸血鬼”を下の名前(ファースト・ネーム)で呼捨て出来る方が居られようとは、喫驚頻り。」
「出逢って直ぐ然う赦されて、爾来ずっと…公の場では慎むよう心掛けてゐましたが、呼馴らした方がつい口を衝いて仕舞う。」
長い睫毛俯けて仄か含羞湛える騎士の絵画的な美しさ、一つ歳上の末席は純真無垢ないじらしさに、胸奥甘く焦らされて束の間少年に見蕩れた。
春陽浴びて眩さ際立つ麗しい金髪の二人、十番目の騎士をそろり窺えば、御随意に。と情無い口調に彼女は肩透かし、蘭契の彼は白け装った意図を静やか汲ん
だ。
「今少し積極的に処していただければ、ヴァインベルグ卿の懊悩も緩和されましょう…」
「御友達ごっこにでも興じろと言うのか?くだらぬ…」
「ごっこ遊びなんかじゃ無い!真剣交際だ!!」
「ほぅ…」
「円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)は中々の情熱家だと思わないか、ドロテア?」
鼻先で素気無く遇らった橙髪に新参の騎士透かさず噛み付けば、暫し気配絶って高みの見物して居た四番目と九番目も、末席同様に当事者二人の背後から口を
挟んだ。
軽く眩暈を覚えて二度三度頭振る円卓の第十席(ナイト・オブ・テン)を他所に、彼女達が十二番目の隣に腰落ち着けると、穏やかな午後のひと時が緊張感漂う
作戦会議へと様変わり、大食堂(カフェテリア)は水を打った様に静まり返った。
「ヴァルトシュタイン卿に御臨席賜れないのが大変残念です。」
「皇帝陛下の折衝に帯同されては致し方無い。既知の御様子ではあったが。」
「筆頭も惜しい事をしたな…」
「此処は一つ、私達だけで難局を乗り越えなくてはなりませんわね。」
「昨今跋扈する流説は、最早円卓の騎士(ナイト・オブ・ラウンズ)の沽券に関わる一大事。黙って見過ごす訳には行かぬ。」
「帝国軍最高位の組織内で新人苛めとは、全く以て怪しからん話だ。」
「枝葉が付いて、容赦無い暴行受けたヴァインベルグ卿が、心身共に破綻した事になって居ますものね…」
「密室での拷問と耳にしたぞ。」
「卿の素行に問題があるからだ。」
三女傑が几帳面にも順々口開く様、幼馴染の二人は到底出る幕も無く、金髪の歳下は見目麗しい女神達の仲に感心し、歳上は倦んざりして居た。
春風そよぐ長閑な昼日中、鈴転がすような聲音の彼女達は、発端を平時も冷酷非情な空気漂う十番目の騎士と認め、遅蒔き乍ら心象の回復を画策した。
血生臭い綽名の返上に、親朋の誼、記憶する極上の美談せがまれたジノは、幾分困惑して隣人の腕組んだ制服端引いて縋った。
「プライバシーの侵害だ。」
血気盛んな烈女達に冷や水浴びせ、ルキアーノ=ブラッドリーはふいと外方を向いた。
「ルキアーノ様、お待たせ致しました!」
一触即発の険悪な空気立ち籠めたものゝ、天真爛漫なグラウサム=ヴァルキリエ隊の弾む声が、純白の制服集う食卓を救った。
円卓の騎士達が呼掛けに目を遣れば、にっこりと微笑むマリ−カとリーライナの側に、分け目正しく整えた金髪の将校が立っていた。
第三席は蒼灰(ブルーグレイ)の制服に身を包んだ彼を何処(いずこ)かで記憶して居たが、如何にも名前迄は思い出せず、自分の顎に指を押当てて頭中探っ
た。
「確か、純血派の……」
眼光鋭い男は態とらしく辺り響く大仰な口振り、ブラッドリー卿が斯様な甘味を御所望とは。と皮肉り、手持ちの銀盆を十番目の騎士に恭しく差出した。
果たして其処には、小さな硝子製の器に可愛らしく盛られたピーチ・メルバと、熱気揺らめく淹れたての二客が載せられていた。
ルキアーノ=ブラッドリーは頬杖突き崩さぬ儘、自然見下ろす格好と成った男の射る様な視線にも怯まず、其の嘲弄の言辞に華麗なる意趣返し。
「貴公では、歌姫を口説き落とす事は敵わぬ。」
「何?!」
「御手前、厨房から此処迄一人で運んで来られたのか?其れは其れは大変な御苦労を…さぞや諸氏の関心を集めたであろう。」
「女性の手助けをするのは紳士の嗜みだ。」
辛辣に切り返された士官は忌々し気に唇を噛んだが、猶喰い下がる姿に純白の女性騎士達も興を示した。
上職と目に見えぬ火花を散らす剣呑な様に、配下の二人は狼狽えた。
「天下に轟く此度の醜聞は、世界最強を標榜する帝国三軍に大きな衝撃を与えた。将兵の規範と成るべき円卓の騎士が同籍を苛責(いび)るとは、何たる不徳。
真偽は兎も角、左様噂される様な処に身を置く妹が、心配でならない。」
然う言って、幾分強引にマリーカ=ソレイシィを自分の背後に押し遣れば、円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)の記憶回路が漸う繋がり掛けた。
「えぇと、確かキュー……あゝ、思い出した!然うだ、QP!!」
「…………Lですわ、ヴァインベルグ卿。其れだと、幼児体型の天使になって仕舞います。」
「あ!此れは失礼……QL殿。」
モニカ=クルシェフスキーがチチチ。と人差し振って誤りを指摘したが、時既に遅く、三番目の騎士は萬座の爆笑を買い、純血派の将校は面恥掻かされ怒りに戦
慄いた。
「お前、相変わらず…子供の頃から些とも、だな……尤も、其処が気に入って居るのだが。」
「“其処も”って訂正して呉れないと、君の好意を手放しでは喜べ無いな。」
華奢で長い手先で唇覆いククク…と肩揺らし続ける円卓の第十席(ナイト・オブ・テン)の左横、煙る琥珀髪の少年は白皙の頬膨らませ、拗ねる素振りの仲睦ま
じさ。
春和らいで景明らかな昼下がり、悪辣無比と三千世界に名を馳せる騎士の歳相応、屈託無い微笑み貌に居並ぶ将卒達は唯々魅せられ、目許淡く染めた。
「もう…キューエルったら!先から何度も違うって言ってるでしょ?此れは、ヴァインベルグ卿の為にルキアーノ様が御註文なさったのよ。」
気持ち逸りから愛妹の聲に耳傾けなかった兄は、打ち震える恥辱も忘却、口尖らせて非難する美少女の言葉に眼を瞬かせた。
同席の騎士達は勿論の事、傍観姿勢貫徹のぐるりも将校に倣い、歳離れた幼馴染二人と甘い冷菓子を交互に窺った。
漸う笑い収めた歳上は、あゝ…然うだったな。と思い出し、不思議そうに小首傾げる歳下の胸を、すらり長指で軽く突いた。
「此処…幾らか落着いたか?」
「え?…あ……うん…少し。」
「沁まぬなら、何某か摂ってから服薬しろ。」
幼い時分からの嗜好を記憶留めて居た彼の、濃やかな心遣いに感謝の小聲、三番目の騎士は水蜜桃を銀匙して濃厚な甘さを堪能した。
在りし日の病褥、時節逸した柔らかな果実を望んで歳上の幼馴染を途方に暮れさせた思い出を、ジノはそっと懐かしんだ。
二人の遣取りをやゝ複雑な面持ちで見守って居た同輩達に、胃炎だ。という短い一言寄越せば、少年はソレイシィ兄妹とリーライナにも謝意を伝えた。
円卓の第十席(ナイト・オブ・テン)は可憐な妹の隣で直立不動となった純血派の将校へ顎を向けると、上着に留められた赤い羽根飾りを指した。
「貴公に在って私に無いものは、国家に対する篤い忠義心だ。私に徒党は組めぬ故、其れには敬意を表する。思想信条、哲学…然うして此の軀。帝国に呉れて
遣った憶えは無い…私の支配者は此の私。然し乍ら、傍輩や補佐を苛む趣味は嗜好から外れる。私事には頓着為ぬが、ヴァインベルグ卿の名誉に及ぶ今般の取沙
汰…此れ以上流布されるのは、不本意だ。」
「キューエル殿…公然と為るには憚られ、内々に秘めて置いたが、卿は私の歳離れた昔馴染み。虚聞に接した折には、戒めを御願いしたい。」
「真実、左様で構わないと仰るのですか…?」
第十席の艶帯び聲に歴然たる格の違い読むも、士官猶逡巡して口籠った。
ふわり縹の瞳細めて至極の微笑み、右側寄り馨高い珈琲傾げる伏せ睫毛を一途、I love you….幽けくも不滅の慈愛囁(つゝめ)いた。
やわらかな午後の陽射しの下、優雅喫茶する円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)にひととき見蕩れてゐた同輩達、蒸気揺らめく珈琲碗に口付けた途端頤逸ら
せば、五指の庇奥に火傷を想った。
右隣座す歳上の幼馴染、猫舌。と嘆息混じりに人差し指手前折って顎招くも、繊手で覆いつゝ頭幾度と左右、顰めて獰猛な野獣の面差しすれば直ぐ様封印を解い
た。
十番目の騎士は片眼鏡し、華奢で大きな両手で白皙のまるみ残る頬そっと包み、薄開きの口腔に怖々畏まる舌先を診立て、仕置きに小首傾げて吐息吹き掛けた。
「―――…ッ…!!」
「once more…」
堪らず身を捩り、重ねた十指で唇隠して泪目の非難、八つ離れの幼馴染白れっと主治医顔で威儀正し命じれば、一帯噂の真相に疑義抱いた。
然しもの少年剥れて不承の構え、歳上、宥め賺しの作法に稚い時分から密か懐けた匂やかな愛称小聲、感慨ひとしほに緩めた噤み掬いて、硝子皿載る氷菓子の一
匙で慰めた。
「once more…Kitty.」
舌端から蕩ける甘雪、三番目の騎士が細喉上下為す様熟視めては、再々杓いそろり咥えを催促した。
場所柄憚らぬ猫可愛がりに皆々言葉失くし、歳上の何気な風情して濃やかな手援けと、素直汲んで頬に仄かの八つ歳下とを、不躾にも悉さ目蓋に焼き付けた。
「さてと…先ずは、馴初めから御聞かせ願いましょうか?」
「然う見付けられては、尤もな話だ。」
「…仔猫(キティ)?」
組んだ両指の上小顔載せた末席から順に遡り、白燕尾の別嬪達、未だ嘗て見憶えぬ冷酷非情なる同輩の耽溺に騒めく胸中分かちて、配下の二人共々に前傾姿勢。
歳上の彼は興醒めの体で透鏡(レンズ)片付け、溢れた純血派の将校に席譲りの言辞、琥珀髪の少年面喰い、居並ぶ美貌と幼馴染とを秤掛け、右側の裾引いた。
「聊かの齟齬と、適当に遇え。面倒事は遠慮する。」
「そんな…」
「極道には大凡似つかわしく無い誼と思召し。」
「…孤高と孤独を穿違えてゐる。」
「言葉尽くせば、解釈誤りと聞分けるか貌か?」
ちらり麗しの面々一瞥すれば、今度は耳許で密々話?と米噛み引き攣らせての怒気孕み、徒ならぬ不穏な空気に、橙髪の右に鎮座した上級士官迄もが退じろい
だ。
十番目の騎士見え透いた誤魔化しを算段も、歳下の健気矢面に立つ心意気。
「やれやれ…故に、御友達芝居なぞ打たぬと言ったものを。」
「御遊びなんかじゃないッ…私は本気だ!冀って君に申込んだんだ!!」
白々の呆れ貌に鼻先近寄せ反駁の剣幕、痴話喧嘩か?と九番目片眉上げて揶揄えば、美女達右へ倣えと許り新参の騎士に助太刀の構え。
歳下はたと我に返れば頬に火照り、You said, "I love
you."嘆息混じり波乱を豫見した八つ離れは眩暈見舞われ、眉間中指で押さえつゝ左右振った。
如何様にも躱せぬ状況に最早の諦め、琥珀髪の騎士、羞恥の名残に辿々しい語り口調で、秘めやかな邂逅からの思い出話を少しく伝えた。
時計の針は、もう間も無く午後一時半。
穏やかな春の陽射し註ぐ梢の下、寄り添い腰掛ける純白の燕尾達は、時折明るい微笑み声で打解けた羽根休みを堪能した。