03.

A Taste of Honey

世界が平伏す神聖ブリタニア帝国の軍職最高位たる円卓の騎士団(ナイト・オブ・ラウンズ)に、歳若い金髪の将校が叙せられ、日捲りが漸う ひと月過ぎようとしてゐた。
就任直後からの目紛るしさ―――円卓第十席預かる歳上の幼馴染と久方振り再会果たすも、半月に及ぶ峻烈な拒絶からの病臥し一週間を経、旧交温めて三日の親 密。
二人の間柄認知される迄の一時、と或る派閥から端を発した過激な噂は忽ち波紋呼んだが、過日の春麗な昼下がり、騎士達集いて和気藹々と食卓囲めば、末席の 豫言どおり速やか仕舞えた。
帝国は宰相が欧州各国を歴訪している以外は穏やかな日常、三軍も暫し銃器置いて戦火を離れ、皆々が尊い平和の永続を心から願った。





新緑の季節に風そよいで葉音、机上置いた銀無垢の青針が小休憩の頃合指した。
ジノ=ヴァインベルグは優雅な長靴の響き、首席騎士から託った簿冊を小脇に抱え、初めてとなる第十席の執務室へ一足毎に胸高鳴らせた。
遠目に見えてゐた荘厳な扉辿り着き、愈々打ち鳴らそうかと緩く拳握った処で、薄開きに気付き小首を傾げた。
午前の陽射しはやわらかく、汗ばむ陽気は未だ先々。
急勝ちな誰かの閉忘れと結論付け、三番目の騎士は再び黒革の五指折って等間隔に軽打ち、部屋奥確かな人の気配も無言の返し、流石に怪訝な表情で今一度を躊 躇った。
暫しの沈黙、キィ…。と扉開いて応対に姿現したるは配下の美少女、可憐な微笑みの裡に戸惑い秘めつゝも、白い指先揃えて鄭重に中へと導かれたなら、後ろ手 に戸締りの音鳴らした。
紫紺を基調とした凛々しい官服の背に続けば、部屋の主は両袖机で職務に精励、歳下の幼馴染、其の真摯な姿勢に學士であった時分を懐かしみ、愼ましやかな美 質の不変を想った。
然し乍ら一瞥も呉れぬ澹泊に心腹の友、見目麗しい少女達に密々過分な裁量かと訊けば、頭振るも始業からの不機嫌顔に困惑の体。
声掛けにも不精の生返事、側寄れば翻り同じ歩幅遠退き、敬愛する上職の棘ある態度に気拙さ覚えては、二人小鳥の様に寄添いて、最早口を噤んで萎れの表情。
円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)は長らくの交際鑑みて、女性に左様居丈高な流儀とは聊か疑義、冷然な割に密々内緒話の聲を厭うで無し、澄まし貌でも 踵返し促す素振りせず、縹の瞳ふわり。
優雅羽根筆滑らす八つ歳上、完璧に着熟した純白の燕尾に手櫛髪、額にはらり掛かる橙は、華冑界を虜にした邂逅の時期を髣髴とさせ、俯けた淡紫の双眸に色 香、配下も頬に薄紅刷いた。
机上は書類の山許り、平素細々気を配る部下達を為て喫茶の痕跡見受けられず、一息に嗜好品燻らせたなら風揺れる窓辺も施錠の儘で、歳下小さな溜息吐いて十 番目の騎士に歩み寄った。
正面立ち預かりの書類綴じ差出せば、目礼の上収受して再び硬質なる紙擦りの音。
琥珀髪眩い騎士に黒長靴の爪先逸らす気配窺えず、歳上の幼馴染は視界の妨げに眉間皺寄せたが、少年如何な構わず艶やかに、ルキアーノ…。と甘い小聲も無碍 の遇い。
金蘭の契りさえ斯様素気無い接待、唯其処に在る丈で心臓に氷の感触錯覚させる上官を、可憐な直率達愈々憚り、強張る腕抱いて沈黙を守った。

「……ルキ…」

八つ歳離れた煙る金髪の少年だけが、稚い時分から然う呼び懐けた。
匂やかな昔日追想する優しい響きさえも閑卻、しゅんと小首落とせば流石に面喰って頤向けるも、差し隙狙い、左握りの羽根筆と認め途中を鮮やか奪い、膨大な 紙類脇に片付けた。
聊か強引な手際に十番目の騎士青筋立てて両指を内折り、直下の二人一驚喫して瞬けば、白い燕尾服ひらり文机に右下腿から乗上て端座。
狼藉と不行儀に兇暴な野獣の貌、第三席は鈍感に往なして両膝起き、眩い蜂蜜の額髪掻き上げると前傾ぎ、頽れては、咄嗟肩端掴んだ精悍な面差しにこつん御でこ合 わせ。

「熱。」

勝気な鼻先寄せての看破りに舌打ち、向かっ腹から前揺らぎ堰止めてゐた十指緩めたが、歳下の幼馴染は熱測りの所作其の儘に、怪訝な面持ちの麗し乙女達に変 調を暴露した。
奥歯噛んでの顰め面、威嚇の睨みは戦慄も、三番目の騎士碧眼細める大人びた窘めの仕草で躱し、溜息混じりに囁いた。

「聲…枯れて仕舞ったんだろう?」

牙剥きの獰猛な顴骨両掌で包んだなら気焔揺らめき、軈て長い睫毛を静か俯け、顎逸らし装いて、黒手袋の内窪に密やか甘美なくちづけ捧げた。



ルキアーノ=ブラッドリーが感冒の兆候に気付いて三日過ぎ、軀誤魔化し乍ら職責を全うし続けたが、無理が祟って昨晩は屡の咳込み、喉熱の必至を想った。
十番目の騎士今一度羽根付き手に取り、卓置きの雑記帳に美しい細字認め、やゝぞんざい、遠巻き窺っていた少艾達に寄越した。
紙面には、平穏な当日の職務豫定を可能な限り取止める旨、風邪移し懸念して、配下には各自で庶務と教練を熟すよう指示記された。
何時も近侍してゐた二人はじわり眶に泪溜め、…やれやれ。と上官の艶失くしの聲に悲嘆の極み、逞しい両肩に縋れば後髪に華奢で大きな黒手袋の慰め。
書机に端座の第三席、美少女達が上官の加減と心遣い慮り、言付けに頸をこくりする様眺めては、愛らしさに頬緩めた。
歳上の幼馴染は最早幽けき小聲、大事取って午後の喫茶を辞退の意向言伝、健気に耳傾けるあえかな二人今一度首肯すれば、Thanks.と唇為た。

「ルキアーノ様…矢張り幾分疲弊の様子と御見受けします。些少なりとも何某か召し上がって薬を。」

可憐な直下は此処数日の食細りを見過ごせず、最高學府の専ら出身と憚りつつも、医務方の呼び付けを仄めかしたが、不承に外方向いて膠無く卻下。
両脇侍りの妖精達深々溜め息、橙髪の彼肩竦めてクスと苦笑いし、依然食欲湧かぬものゝ、昼食は適当腹に入れる心積もりと進言に耳傾けた。
直率の美貌手に手を取合い大層な感激、嬉しさのあまり上官に細腕廻して抱き締めれば、ぎゅ…っと柔肌の束縛に聊か複雑な貌、ジノは仲睦まじさに莞爾として 書案を降りた。
少女達は心酔する上司から一任された昼餉の註文に、優しい献立彼是相談し乍ら足取り楽しげ、御遣いに張り切って執務室から駆けて行った。
蝶番閉じて仕舞えば春麗らの賑やかな空気も薄れ、また黙々と職務に当たる歳上の幼馴染に、金髪の騎士は聞き分けの無い子を持った親の心境、午後からの助力 申し出て燕尾の裾翻した。



円卓の第十席(ナイト・オブ・テン)直率の二人が上官の許を離れ、階下の大食堂(カエテリア)へと向かう途中、長い廊下の先、談笑し乍ら歩いて来る純白の 軍服纏った女性騎士達と出会わした。
美少女達は急ぎ足して四番目と九番目に側寄ると、上職からの伝言を伝えた。
末席の裾分けを切っ掛けに習慣化した午後の喫茶は、当初は淑女達だけの優雅な歓談の場であったが、第三席就任後の程無く波及、燕尾の羽根休めとなった。
楽しいひととき、然り気無く玄人跣の腕前振るって甘味持成してゐた黒髪の女傑は了解するも、眩い黄金髪の少年は隣空きを誰よりも残念がると豫想した。

「吸血鬼が風邪…?」

豪快な気性で知られる射撃の名手ほつり呟けば、戦慄の綽名持つ同籍が垣間見せた素顔に、秀麗な将士達は形容し難い綯交ぜの感情を確か抱いた。





澄んだ青空にふんわり乳白の綿菓子雲、午後報せる鐘の輪唱―――。
円卓の第三席は本日も士官学校時代の同期数名に誘われての昼食、賑やかな配膳の列に並べば、友人達辺り見廻して人探し。
定位置と為る雛壇(テラス)席の南端には橙髪の騎士不在、直率二人が純血派の次席と卓を囲む様、卿は御多忙なのか?と口々訊ねた。
少しく離れて一角窺えば、美少女達は最早午前迄の快活さ失い、殊に歳下は意気消沈し真向いの兄が憂い顔する程、…やれやれ。と幼馴染の口真似して目許緩め た。
血筋家柄武勲に相貌総てが魅惑的で在り乍ら、戦場渡り歩く血泥塗れた天才と畏怖される騎士の、直下に難関潜り抜けた美貌達が名を列記しては其の傾倒振り、世界の概ね半数は不可思議首捻った。
左様な男振りの代役務まらぬと承知、しをらしい二人を鳥渡丈でもと心腹の誼、何事か閃いて通り掛かった懇意な給仕呼び止めた。
註文伺いに膝折った彼に金髪の騎士密々と耳打ちしたなら、黒中衣笑み漏れた唇覆い隠すも、にっこり悪戯の片棒担ぎを引受けた。
三番目の騎士、旧友達との気が置け無いひと時惜しみつゝ、手早く食事済ませて断り口にすれば、彼等、出世頭の手許覗き込んで恢復に先ず先ずの顔をした。
後片付けに立ち上がった処、先刻のギャルソン都合良く舞い戻り、当然至極の手付きで甘味載せた盆と少年の残務とを取替えた。
完璧に躾けられた接客係が小脇挿んだ新品差出すと、眩い金髪の騎士無邪気に瞳輝かせ、Just a moment. 人差し指して躊躇わず羽織脱いだ。
次第衆目集める中、然ながら子供の御着替え、専従恭しく腰屈めて下ろし立て一文字に結わえたならば、急誂えの黒前掛け誕生、配膳の心得教示した。
一帯は二人の何某か目論見に優しい微笑、純白の騎士服と手袋請け負った同窓生達に囃し立てられ、円卓の第三席は瞳眇めると、混雑巧みに躱しつゝ、銀盆を新 緑の梢下へと運んだ。



美少女達の真正面腰掛けて居たキューエル=ソレイシィは、気配忍ばせ歩み寄って来る円卓の騎士に逸早く気付いたが、しぃ。と一本指されては平静装った。
第十席直下の二人は控え目な昼餉如何にか食し遂すも猶悄然、口数減って溜め息積重ね、日頃はやゝ嘲笑的な純血派の将校を為て慰めの言葉も響かず仕舞い。

「御待たせ致しました。」

中低域の艶帯びた聲音に少艾達咄嗟振返れば、憧れの上職似せた悪戯、円卓の第三席(ナイト・オブ・スリー)は袖捲りが男性的な給仕姿に今一度喫驚の面持ち 見遣り甚く満悦、腕白な瞳煌かせた。
秀麗な部下達はくすくすと嫋やかな肩先揺すり、女性優先(レディ・ファースト)。と手際良く供された苺風味の冷菓と芳醇な紅茶に素直な感嘆、漸う笑顔に対 座の兄も微か頬緩めた。
上級士官の手許にも当然の様に甘菓子、彼は聊か面喰って黒前掛け窺ったが、三番目の騎士素知らぬ振りで其の真横に腰を下ろした。

「有難う御座います、ヴァインベルグ卿!」
「いただきまぁす!」

春の妖精然ながら莞爾と銀匙握る少女達に眩い微笑み返し、ふと隣に鼻先向けては沈黙の将校と目線重なり、小首傾げれば気拙そうに俯いた。
実兄達と同年代の歳離れも、まるで叱られた子供の風情、辿々しい語り口調から一昨日の午後を詫び、本来ならば此処に不在の騎士にこそ、寛恕を請わねばなら ぬ処と打明けた。

「然う深刻に御考えに成ら無くても大丈夫。屹度もう水に流してゐる筈です。」
「卿は大層御不快な思いをされたであろう。大衆の面前で、甚だしい侮辱を…」
「キューエル殿も辛辣な報復を受けられたのだから、御相子。妹想いは、本物でしょう?」
「しかし、」
「ルキアーノが自分から右側を許すなんて、正直吃驚したんだよね……」
「右側…?」

先日の春陽穏やかな昼下がり、三番目と十番目の幼馴染同士が、其の仲睦まじさに幾分嫉妬した女性騎士達から詰め寄られる事態、純血派の彼は確かに歳上の右 横座してゐた。
一目置かれてゐるといふ事。と囁いて紅茶碗傾ける優雅、あれ以来立腹して口きかぬ儘で居た愛妹もやわらかな面差し、端正な貌立ちの将校はそろり一匙掬うて 甘味を含んだ。



栄養学的見地からも三食欠かさぬ橙髪の騎士であったが、空席に幾許かの寂しさ、自己管理を徹底してゐた彼にも不測の成行きかと、円卓の三番目胸中ぽそり 呟いた。
伏せた長い睫毛下には如何様にも隠し遂せぬ憂いの色、グラウサム=ヴァルキリエ隊は花の顔見合わせて、躊躇い勝ち直上の近況をそっと明かした。
可憐な少女達からの聞き伝、此処一週間から十日の終業は日付越え、朝未だ来帰邸も定刻には登庁し、寸暇惜しんで膨大な所管事務を粛々と熟すも、疲弊に因る 食細りが懸念された。
左様な状況下では鍛錬された体軀さえ病魔に屈服も必至、配下が先刻届けた温かな粥の手付かず危惧すれば、若齢の幼馴染は戦雲遠ざかって久しい昨今に忙殺の 謂れを尋ねた。
美しい少女達は一拍無言の儘に熟視め合い、虹彩の奥で申合わせ為てこくり頷くと、親愛なる上官にはくれぐれも内密にと聢な約束を強請った。
真摯な瞳に如何な大事かと躊躇ったが、煙る琥珀髪の騎士、深く沁む聲で諾と返した。

「今想えば、ヴァインベルグ卿が円卓の騎士(ナイト・オブ・ラウンズ)に叙せられてから、ずっと…ルキアーノ様は、秘密裡に補佐を。」
「……え?」
「最初は私達も然うとは気付かずにゐたのですが、難儀な事案は悉く御引受けに。坐業は言うに及ばず、元々は卿に申請された模範演習や所属の垣根超えた指 南、各機関との調整迄も熟して居られます。」
「絶え間無い激務に配下は憂患、卿が体調崩された折に初めて旧知と仰せられ、聊か度が過ぎた…と。責を負い、多忙な職務の合間縫って、御自身で看護を為さ いました。」
「想う処在っての白々だったので御座いましょうが、翻っての至誠にグラウサム=ヴァルキリエ隊は深く胸搏たれ、一同微力尽くして付随って参りました。」
「御気持汲めば、諫言憚って最期迄謹仕の覚悟。ですが、最早御身体が…」
「―――然うして、不可避の貰い風邪…と謂う訳か。」

秀麗なる金髪の騎士諒解すれば、暗黙の箝口令敷かれた二人は双眸に泪、愈々遣る瀬無さに眉間皺刻んで俯き加減、口許覆って嘆息漏らした。
邂逅から、其れと気付かせぬ心遣いで庇護下に置き続けた歳上の、言葉に為れば一笑に付されるであろう情動こそが、純然たる本體と感受して居た。

「話して呉れて、有難う…そろそろ失礼為なくては。」

はらり腰結い解けば居た堪れ無さから別れの辞、健気細指で眶拭いて小首左右の美少女達を、純血派の将校に委ね席を離れた。





円卓第三の騎士は午後早々に当日分の課業仕舞え、約束違わず歳上の幼馴染へと足を運んだ。
いま一度執務室の前辿り着けば、蟻の這い出る隙も無く閉じられた蝶番に、午前の開扉は換気が為と合点した。
来訪伝えようと黒手袋の五指握ったが、炎症の擦れ小聲思い出し、ルキアーノ…?と親友の名囁きつゝ磨上げの真鍮そっと右廻し、いとも容易く軋みの響。
長靴踏み入れて既視感の風景、一瞥も呉れず羽根筆片手に熱と精査する机上には、朝とは逆しま捌き切の堆き、如何やら出る幕無さ気と肩竦めた。
静寂搔き乱さぬよう壁際配された長椅子に腰掛け、側置きの卓見れば幾匙為たか溜息吐く食余り、先頃迄の自身も同然と思い当たっては小言を慎んだ。
辞去を躊躇も空気のやわらぎ、沈黙の歓待と感取為ば、心、軀…何処か奥深きに甘美仄か、手持無沙汰装いて重厚な書架に視線逸らせた。
赦されての独り時間、、旧情温めて指折り三つの幼馴染なら、取揃えられた背表紙から歳上の本邸を懐かしんだ。
几帳面横並びの金文字に褪せぬ探求心と高邁な思想を窺い、譜面綴じから奏楽鼓膜甦り、一角に飾られた淡褐色の幸福な肖像、長年名門手援け為てきた後見人夫 妻の優しい微笑に縹の瞳細めた。

「―――ッ、コホ…」


玉響追想耽るも、不意に空咳の一つ零れ落ちれば続け様、口許憚る娟麗な貌顰めに狼狽して駆け付けの勢い、純白の羽根筆翳し…non.と擦れ聲の制止。
病み上がり深慮故と解しつゝ、聊かも躊躇わず側寄りては着座の項優しく抱き寄せ、小刻み揺れる燕尾の背を何度と慰めた。
一時過ぎて如何にか落着き取戻したが、歳下の中着に未だ怜悧な額預けは幼子為る甘えの仕草、黒革の長指やわらかな艶髪を梳いて慈んだ。

「ルキ…矢張り一度、医官に診て貰わなくては。」

しっとりと耳朶に沁む囁き聲、宥め賺しにも頬擦りの所作で外方向き。
医學の最高峰を首席で卒業為たる才頴、気高い矜持からの難色と汲むも、女医が明け番。と子供染みた厭々の理由ぽつり呟いたなら、流石の親朋も呆れ貌。

「然んな我儘…」
「如何とでも。」
「最早開いた口が、」
「塞いで遣ろうか?」

片眉上げて悩殺の上目遣い、もう…。と溜め息混じりに凛と天空指す鼻先を人差し指で往なした。
聞く処に拠れば、本日の当番務める官吏は軍医総監を父に持つ歳若き、過日第三席の看護用立てる為幾らかの薬剤申し付るも、其の周章狼狽甚だしきを記憶して 居た。

「ルキアーノ…君、若しや凄い剣幕で拝借しなかった?」
「極々平静。鄭重に都合願い出たが、彼方は青褪め震えて居た。」
「……然う。」
「左様心許無きに半裸曝して診立てを請うなぞ、筆舌に尽くし難い屈辱だ。」
「風邪と疑わしければ、聴診は当然。歴とした医療行為…邪な事じゃ無い。」
「馴染み薄に何処其処為せる粋狂か?御免蒙る。」
「軀の等閑は駄目。」
「重ねて遠慮する。」
「駄々を捏ねるのも大概にしないと、」

気難し屋の不興に空気強張り掛けたが、八つ歳嵩上の騎士逞しい諸腕廻して佇む帯革擁き、大人に縋る子供の其れ、しゅんと顰め俯け…non.と苦渋を湛え た。
若齢の幼馴染は胸締付けられて此れ以上は無理強い、聊か強い語気を封じつゝも、頬寄せから伝わる紛れ無き発熱を見過ごせず、やわらかな橙を手櫛した。

「君の意向に沿う手立てを思案為てみるよ。如何しても放って置け無い。」
「…仔猫(キティ)……」
「君の事が心配で堪らないんだ……」

円卓の第十席高雅な淡紫の双眸静やか見上げば、虹彩に煙る金髪の少年の儚げな微笑、素直小さく一度頷いて、名残惜し気に甘えの玉臂を緩めた。
三番目の騎士ほっと溜め息、譲歩に深謝し精悍な顴骨に刹那のくちづけ、鳥渡丈待って居て。と言置き、燕尾の裾翻し部屋から駆け出して行った。
強引な居残り命じに苦笑の肩揺らしつゝ、一瞬に両腕から擦り抜けた人肌を想い、旧情温め唯の十指過ぎ、左頬そろり撫ぜて接吻の余韻に睫毛伏せた。





鳥渡と言残して其れ限、手持ちの夥し本務捌き終えても未だ再訪の気配窺えず、円卓十番目の騎士片眼鏡仕舞い、幾許かの癒し求めて自室に退がった。
蛙脚捻り大理石造りの浴槽に温湯、秀逸な織物張りの一人掛けに純白の抜け殻、爪先から浸りて草臥れの澱滲み、深い溜息吐いて揺蕩いに身を委ねた。
やわらかな煙(けむ)に寛いで読止し捲れば贅沢な午後のひととき、皮靴底の微かな響に耳欹てれば叩扉躊躇ってそろり把手半回転、空席の無施錠訝しがる美貌 目蓋に描いた。
壁面覆うずらり書棚の蔭隠れに私室へと続く這入り口、一拍置いて蝶番の幽か啼き聲、三つ揃えの空蝉気付けば癒しの聖域辿り着き、ただいま。莞爾と瑞々しさ 齎した。
眩い金髪の騎士は幼馴染の消耗気に掛けるも、在りし日想起為す密やかな羽根休めが今猶歳上の行動様式と胸詰まり、美しい蒼穹の瞳を細めた。
猫脚附きに側寄り、恙無く往診の手配完了と伝えたなら、仄かに馨る沈丁花、俯けの読耽りに長湯を優しく釘刺して、ふわり優雅に踵を返した。



総身に温みのやわらかな輪舞、完璧な手入れ終えて私服掛けから小粋な一着選んで袖通し、きりり爽快な檸檬水傾ければ、喉奥潤みの代償に少しく咳続いた。
半時許り過ぎ、円卓の騎士に然るべき厳かな執務室を等間隔叩打響いたなら、主人の誰何を待たず、歳下の幼馴染足早寄りてにっこりと訪問客を招き入れた。
姿現したるは円卓第三席の十離れた次兄、嘗て橙髪の歳若き名家の長と學舎同じく為て共に研鑽積んだ儕輩は、やぁ。と昔懐かしい砕けた挨拶で久闊を叙した。
今では帝都屈指の杏林として多忙極める身も、最愛の弟達ての願いとあらば、束の間の休憩充て馳せ参じ、本職の手前惜しみなく振るった。
然しもの十番目の騎士唯々諾々、医伯そっと舌圧子為て診るや刹那に眉間皺寄せ、釦外しの開けに直で聴診、深い溜め息一つ吐いた。
優秀なる同窓生は黒鞄から覿面期待の錠剤手渡しつゝ、片眉上げて戯ける将校に密と耳打ちした。

「卿…君、如何かあの子を泣かせて呉れるなよ。」

上質な織物張りに行儀よく腰掛け乍らも、一途診立て窺う煙る金髪の貴公子へちらり睫毛下遣る素振りに、東雲髪の才穎…Sure.と擦れた囁きで肩を竦め た。

「二人丈で何様な内緒話…?」

病状憂いつゝ仲間外れに不満げ頬膨らませる歳下に、紳士達はクスクスと優雅な微笑み聲を零した。
御出で。一等仲良しの兄宥め賺しに手招けば、拗ねては居ても素直歩み寄り、遠からず追い越されるであろう末弟の撓やかな右肩を優しく抱いた。

「何、鳥渡した艶めき事さ…ジノ、君には若干刺激的かも。」
「大人の嗜み。」

意味深長な誤魔化しに忽ち薄紅のあどけなさ、可憐な少年口籠りつゝ幼友達の容態を心配し、歳上の二人は其いじらしさに最早揶揄いを慎んだ。
次兄は古い顔馴染みの不調を聢と認め、点滴は成る丈勧めない。と人指し指振り、疲弊構わぬ橙髪の騎士に兎にも角にも充分な休息を厳命した。
然も億劫そうな風情でYes.の小聲、不安気に見守ってゐた末弟が安堵の胸撫で下ろせば、兄は左腕の時計を一瞥、慌ただしく帰り支度を整えた。

「名残惜しいが、午後の診療に遅刻する訳には…ね。」
「あゝ、待って…一緒に。車寄せ迄送るよ。」
「ブラッドリー卿、円卓第三の騎士が護衛を申出て呉れるなんて、私も結構な出世だろう?」

茶目っ気たっぷりに差出された左様ならの五指を、クククと肩端揺すりて攫んだ同期生の耳許にくちづけの仕草、約束。と真摯な響き沁ませた。

「卿…君が恢復したなら、差しつ差されつ美人談義を夜明け迄。」
「一興。」

歳上の大人達は学生時代然乍ら洒脱な遣り取り、再会願ってひらり掌翳し、此の場を限りとした。



円卓十番目の騎士賜りし執務部屋から退いた名家の兄弟、仲睦まじく日頃の彼是話しつゝ長い絨毯敷きを横並び、回廊折れ曲がれば歳上は直ぐ様医師の顔付で診 断内容を告げた。
帰り路を進み乍ら努めて平静に、瞥見した喉奥の甚だしい炎症は既に起居すら困難な状態、先刻処方を服薬しようと更な高熱からは免れぬ後々豫見した。
刎頸の友の由々しき事態に末弟喫驚して言葉失くせば、責めて残り半日丈でも休ませなさい。と優しい聲音で言い付けた。

「然んなに深刻な軀で……ルキアーノ…」
「残念だが芳しくは無い。職務は幾らでも替えが利くだろう…だが、大人しく諾とは為まい。彼の獰猛な肉食獣を手懐けられるのは、ジノ…世界中で君ひと り。」

威厳漂う大造りな車寄せに漆黒滑り込み、本家の御抱え運転手は慇懃な辞儀して後部座席開け放ち、長年仕えた高貴な昆弟の別れ惜しみを慎ましく見守った。
秀麗なる騎士の悲痛な面持ちを見兼ねた仲兄、同じ縹の目許やわらげて、黒鞄から水薬入りの小瓶、やゝ躊躇いの仕草一度手の窪そっと納めてから差出した。

「本当に如何仕様も無くなったら、卿に此れを。」

煙る琥珀髪の末弟は十離れの素振りから劇薬と諒解、咳込んではきつく眉宇寄せる幼馴染に苦味は酷と慮り、口腔拡がる風味を訊ねた。
今日日円卓に一席得たる騎士の可憐な幼少期から力添え、陰日向に護り続けて来た兄は…maybe.と優しい笑み、まるみ残る頬撫ぜて杞憂と仄めかした。



滑らか過行く黒塗り見届け、円卓第三の騎士は深緑色の釣鐘外套裾ひらり、一人置き残した幼馴染の許へと踵を返した。
最早叩扉は意味を成さず、キィ…。と蝶番為て留守預かりの様子窺うも裳脱けの殻、整頓された玉案から膨大な処務の完遂を知り、私室へと足を運んだ。
端正な面立ちの紳士は既に処方薬服した後、織物張りに腰掛けて頬杖突きつゝ読み止しの頁繰り、流し目の一つも遣らぬ気儘を親密な寛ぎと感じ取った。
別れ際にやわらかな微笑湛えた舎兄の言葉反芻しては、喫茶に事寄せ僅かでも滋養摂らせたい処であったが、書籍に没頭して生返事、世話焼きが過ぎたと虚しさ に口噤んだ。
十指組んで長い睫毛俯ければ敬虔な祈りにも似た沈黙、歳上纏う沈丁花の微かな馨と紙捲り、軈て静けさに小首傾げ…Kitty? と昔違わぬ甘い呼馴らしも、擦れたか細い響き。
罹患の謂れ想えば気掛かりは猶の事、熟視め返した蒼穹の瞳は繊細な胸中に揺らめき、重ねて所望伺いの小聲為たなら、然しもの紳士卒読諦め栞を挿した。

「coffee, chocolate……and cigarette.」
「No!!Absolutely not!」

邂逅の砌から知り置ゐたる嗜好品と言へども、此の場限りは一服の害悪を断固阻止の威勢。
東雲髪の幼馴染は余裕含みし悪戯に過ぎぬ積り、喉…潰れて仕舞う。と切実なる諫めを優雅鼻先で遇い、降参の所作で隠しから純銀の紙巻入れと燐寸箱を少年に 手渡した。
歳下は使い付を燕尾の軍服に大事預かって、本復の暁、稚い時分の寝しな記憶した艶帯びの微か唄聲今一度願えば、瞳眇め意趣返し…Absolutely.唇 に人指しの密約結んだ。
気高い情動の積重ねこそが歳離れた二人の紐帯、洗練された奥座に穏やかな春の陽光齎され、十番目の騎士は喉奥燻る熱を考慮、炎症刺激せぬやわらかな甘味を 希望した。

「Crème brûlée.」

円卓の第三席莞爾と承りて、甘菓子に一家言ある紳士も満悦の名店へと急くも、au chocolat.白れっと申添えて片眉上げ、帝都中片端当たろうと期待薄な御強請り事に項垂れた。
意地悪な註文に為て遣ったりと蠱惑的な唇撫ぜ、然し再々の咳が強ち我儘とも言い切れぬ処、端麗なる若齢は如何様も遣る瀬無さ、手ずからと思ひ定めて戻る迄 の安静を課した。
誰彼かに急場凌ぎを依頼と豫見の歳上、一驚喫して淡紫の瞳瞬いた。

「私の謹製…勿論、完食を約束して呉れるだろう?」

すらり人指し左右振る大人の仕草為て、只今舞い戻った許りの二人限りさえ忽せに、鈍色の真鍮捻れば軈て皮靴底の硬質な響き遠退いた。





壮麗な浮彫細工の扉後ろ手、当然の不馴れ請負に困惑して小さな溜め息、本邸では厨房にすら偶さかの御曹司は、大食堂(カフェテリア)に力添え願うべきか少 しく悩み、閃いて足早同輩の許を訪ねた。
全き同様誂えの厳めしい這入り口を軽打、誰何に凛と名乗れば間を置かず優しい聲招き入れ、執務机に掛けた四番目の騎士、聊か表情翳る隣席の新参に驚いて、 羽根筆をそっと置いた。
八つ離れの幼馴染より幾らか歳上に緊張の面持ち、辿々しい話口調で事情打明ければ、話半ば迄は吸血鬼の不埒と美貌顰めたが、真新しい軍服援ける十番目の寡 黙な姿を想い起こした。
首席だけは其の謂れを存知も当座は静観し、過剰な勤めを慮る優艶な儕輩達も倣いて口噤んだ次第、細心の看病から風邪移りと心苦し気に睫毛伏せる眩い琥珀髪 に、上品加勢を申出た。
三番目の騎士は黒手袋為た長い両指で唇覆い、Seriously…?と小聲、歳相応の子供らしさに彼女は澄んだ翡翠の瞳を細め、母親の慈愛にも似たやわら かな微笑みを湛えた。

「斯様な次第に至ると承知しつゝも、ブラッドリー卿の尊い所為に一帯が諫言憚った…及ばず乍ら是非に。」
「有難う御座います、エルンスト卿!…本当に、有難う…」
「貴卿の為にも手解きを厭わぬ。だから…仔猫(キティ)、左様な貌を為ては駄目。」
「…え?」

歳離れた幼馴染慣用する甘い響きの二つ名、別嬪少しく眉間に皺寄せ切なげに、泪の風情。と囁き聲で窘めた。
隠し遂せぬ憂いの面持ち指摘されては羞恥に頬染め、いじらしさ一層、円卓四番目の騎士は優雅に肘掛けから細腰上げて、煙る金髪の少年を誘った。



純白の騎士服纏った撓やか長身の一組は、円卓腰掛ける最高位専用の喫茶室に併設の厨房に籠り、三つ揃えの上衣脱け殻為て特別誂えに取り掛かった。
裾分けを機に末席が催したささやかな喫茶、女性騎士達の明るい歓談魅せられた新参招待受ければ、歳上の幼馴染と筆頭迄も午後の寛げに足を運んだ。
軈て武勲輝かしい第四席が玄人跣の腕前と知れ渡り、暗黙の裡、勝手許は彼女の聖域と為れた。
漆黒の艶髪結わえた淑女は手早く万端準備整えて、上流階級御用達の濃密な製菓用(クーベルチュール)細か刻みて湯銭、次に卵。との指示に素直従うも覚束無 い手付き、敢無く粉砕の由。

「あ……」
「年頃の男子ならば然んなものだ。気にする事は無い。」

長い指の隙間から無情にも卵白流れ落ち、不様を申し訳無さ気しゅんと伏せた睫毛、美しい教授少年の健気と可憐とに忽ち心惹かれ、細尖りな肩端くすくす揺ら した。
匂やかな褐色肌の佳容は慰めの言辞、慈しみ満ちた面差し向ければ、眩い金髪の騎士も再度の挑戦如何にか為果せ、自分事同然はしゃぐ澄み聲に木漏れ日の微笑 を湛えた。



仲睦まじい姉弟然乍らの横並び、懇切丁寧な指導に援けられて漸う完成間近、小皿の熱冷まし待ちつゝ気を揉む彼に、imagine the knight of tenth. 淑やかな美人は莞爾囁いた。
最高の誂えに必須な取って置きの魔法と指南されては、三番目の騎士こくり頷くも不思議そうに長い睫毛羽搏かせ、隣立つ麗しきをそろり一瞥、耳欹ての気配で 釈義を窺った。

「然う…如何にも。贈る相手を想い遣り、ささやかな倖せを願って為し終える…」
「…卿。」
「一刹那でも甘菓子が癒しの援けとなるなら、手数は惜しまぬ。」
   
萌える緑の双眸伏せ勝ちに、目蓋描き出された誰かを慕ぶやわらかな輪郭、見習は大人の戀と嗜み深く口噤んで眶に微か綻び、彼女不意に熟視め返して配慮に気 付けば、忽ち頤逸らせた。
…可愛い。歳下の小さな感嘆聞こえぬ素振り、師範は恥じらい隠しに細長な火器の先端から焔、仕上げの焦がし砂糖(キャラメリゼ)を手本為て拵えの本髄を示 し、生徒倣いて極上の甘味にほろ苦な馨で封蠟とした。
煙る金髪の騎士は其内一つを麗しき儕輩に手渡し、自信無さ気な上目遣いで採点願い、四番目の彼女小首傾げてやゝの戸惑いも、口紅引き薄開いて銀匙、大変結 構な御手前。と幸福湛え合格告げた。
すらり長い両指握り締めての不安顔、及第知って齢十五相応の歓声を上げ、取り急ぎ幼馴染への御参時小盆載せたなら、清楚な女性の手先は透かさず白き陶製足 し添えた。

「貴卿も絶品を堪能為れよ。」

濃やかな気遣いに眩い太陽の微笑み返し、純白の軍服掴取りて一顧、Thank you…Dorothea.小聲の謝辞に喫驚の花貌後ろ背、然ながら駿馬の華麗さで長い絨毯敷きを疾駆した。
道途次擦れ違った射撃の名手と末席預かる女性騎士は、神速の勢い咄嗟躱しつゝ、不行儀気咎めちらと半身翻した将校に口笛で囃し、紳士の假面外した在りの儘 を莞爾見送った。





今日一日だけで幾度と訪れた木目の扉、其の先に在る人想えば深呼吸して逸る気持ちを宥め、誰何出来ぬを承知の軽打ち、ゆっくり鈍色の把手捻った。
見遣れば歳上の幼馴染は先刻同様に洗練された私服姿、捌き終えた筈の文机には新たな懸案積まれ、片眼鏡嵌め黙々執務を熟してゐる最中であった。
艶めく琥珀髪の将校は筆擱かせて無謀を窘めると、半ば強引に残りを請負い、白布被せた所望の一品指して、十番目の騎士を長椅子に腰掛けさせた。
筆頭に次ぐ豪傑と評得たる隣席に師事の由明かしつゝ、甘菓子には格別拘ると承知猶躊躇い、是非にと勧めるも其の挙措を身動ぎせず注視すれば、彼はクスと頬緩 めた。
橙髪の幼馴染は細匙でそろり砂糖の薄氷砕き、一掬いを優雅口に為て睫毛伏し、ほろ苦の後続く濃密な甘さに忽ち翻弄、片眉上げて擦れ聲乍ら、 Perfect.と讃辞を呈した。
白皙に煌く縹の瞳ほっとやわらげば、八つ歳離れた二人は寄添い羽根休め、午後の日溜りを永遠にと惜しんだ。



素直珈琲諦めたる歳高の騎士、白湯を含めば静やか浸透する温もりに軈て睡魔の誘い、燻る熱からの気怠さを此れ以上看過仕様も無く、医伯との約束思い出して 臥榻を望んだ。
交際初めから不精存知の幼馴染は、余程の加減と憂慮して付き添い、褥軋らせ左下為てうつ伏せ寝の彼に、御休み。とふわり掛布引寄せた。
高貴な血統物語る淡紫の双眸刹那甘えの流眄、少年の蒼穹想わす虹彩訝し気熟視め返したなら、最早喉爛れるかの激痛唯々気取られぬ様寝返り打った。
然乍ら深手負いたる野生の後姿、煙る金髪の将校は敷栲の上で薄開いた五指少しく眺め、未だ幼かった時分の添い臥しに強請った其の華奢で大きな手をそっと 握っては、せめてもの慰めとした。
端正な面立ちの病煩い緩々の瞬きから目を瞑れば、優しい手繋ぎ離さぬ儘、次第に漆黒の闇へと意識遠退いた。
眠りの深淵到達した様聢と見届け、円卓第三の騎士は靴音気遣いつゝ隣室へと移り、親朋の残務に当たった。
文机に着いて早々、小高く積まれた書類の大半が既に完結と諒解、病煩いの軀押して迄全うせねばならぬ所以とは、事実我が身の庇立て、高潔なる真髄に搏たれ指先で覆いし唇噛んだ。



一時過ぎた辺り漸う山積の課題為終え、夕刻の肌寒感じては病臥したる幼馴染を気掛り、様子窺いに閨の蝶番を微か軋らせた。
黄金髪の騎士は直後部屋の有様に眉顰め、やゝも為れば潔癖に頑なな歳高らしからぬ纏い散乱、側置きの卓上聊か嵩減った水差し認めて、搔き乱された褥に露わ な背の窪、急ぎ歩寄った。
不断の鍛錬模った鳶肩は浅い呼吸の度に上下し、Luciano…?戸惑い勝ち小聲に緩々顧みたる翳り貌、薄ら露含んだ切れ長の一瞥、啼けぬ喉から熱い吐息 唯其れだけで、敷布に鼻先俯けた。
初見為たる八つ離れの憔悴に絶句、邂逅爾来然有らぬ体で盾となりて久しい精悍を、未熟さに拠る先入観が無敵と幻想擁かせても、暗黙の裡にひたむき幼稚な虚 像演じ続けた内奥を想った。
隣室に在ってさえ病変口噤む不羈、孤高と二の足踏めば恢復よりも死に傾いで忽ち衰弱と承知なら、医師の診立てすら拒絶の構え過ろうと、僅か覗く野性味帯び た勝気な顴骨そろり撫ぜた。
火照る軀に人肌の微涼感じて繊細に羽搏く睫毛は爪弄り、咄嗟五指折って引込めれば名残惜し気に鼻端摺り寄せ幽らり仰臥、頂戴。と強請るかの物憂い面差しに 絆され、怖ず怖ず腕(ただむき)伸ばした。
両頬優しく添わせた十指に華奢で大きな手を重ね合わせ、砂漠で一掬求める旅人の其れ、返しの襞に深々くちづけた儘Kitty…儚くも囁かれた甘美な愛称 は、残酷な迄に熱病の猛威曝された。
眉間皺寄せ聲奪われた喘ぎ、狼狽えて直ぐ様医官召致と勢う幼友達に人差しすらり、小さく顎左右為て蠱惑的な唇から零れる溜息愼めば、煙る金髪の少年、奥々 封緘されし言葉に耳澄ませた。

―――……Don't leave me …alone…please…….

擦れの冀いで欹てた耳殻奥潜む鼓膜震わせ其れ限、緩慢な瞬き最早仕舞えて優雅な長指は敷織に落ち、静謐に灼熱の息遣い。
華冑界切っての美男な気難し屋、揶揄悉く蹴散らす気概で逢初めから仔猫と綽名授け内緒事に溺愛為た白皙は、贅肉削ぎ落した彫刻的な半裸侵蝕される様に愁 眉、嘆きの頤聢と塞ぎて憚った。
些細な感冒を打遣った挙句の責苦と雖も、一刻毎差迫る事態目の当たりに成す術無く立尽くす丈の歯痒さ、思案に嵌れば優しい仲兄の面影浮かび、騎士服の内隠 し秘めた遮光瓶にそっと爪端。
硝子に揺蕩う微量を如何様に摂取か、ぐるり見渡しに吸飲みの代替為す何某は期待薄、褥の撓やかな体軀脅かす苛烈な爆ぜり吐く薄紅は潤み奪われて、全幅の信 頼寄す医伯の諭し噛み締めた。
仄かな朱燈す先尖りの耳翼に今一度名前を小聲、怜悧さ物語る額に弱々皺寄せ睫毛細か慄けば、朦朧な意識の健気な反作用に愈々と見極め、最早躊躇掻殴り捨て て赦された覚醒の手段講じた。

「……I will always love you…….」

劇薬呷ったなら、唯々本復願ひて八つ離れの幼馴染口移し―――。
軈て組敷きの優美な喉こくり嚥下、歳若静々重ねを解きて病窶れ窺えば、高貴な血統の謂れたる淡い紫の双眸薄開き、身動ぎさえ難儀な筈も戯れの仕草で戚容擽 り、然うして再び睡魔に攫われた。
絢爛豪華な世界を恣に遊猟為乍ら、絶えざる飢餓と葛藤に翻弄されし美しき野獣、最早生死等しく狂気の沙汰と擬えたる孤高に、喰千切られようとは夢想だにせ ぬ可憐な幼子、小さな楓の御出で。
甘噛みと喩えるには手酷い仕打さえ、木漏れ日の微笑湛え橙の艶髪梳き、魔性とも謂うべき頽廃纏いたる聡明な名家の長が、生涯唯一人望んだ高潔は年端も行か ぬあえか、何時何時迄もと囁(つゝめ)いた。



荘厳なる暁の寂光敷妙に落ち、熟睡の殻破りて復活為たる精悍な騎士、臥榻側腰掛けて手繋ぎ儘うたゝ寝の幼馴染にひととき見蕩れた。
仔猫(キティ)…。唇為れば静謐に漣、煙る金髪の八つ離れ気配察して夢現に儚げな微笑み、歳上絡めたる長指少しく引寄せれば少年ゆらり褥端に頽れて、傅き 遂せた虚ろな蒼穹の瞳瞑りて漸う安息を得た。





窓際に小鳥囀る彼は誰過ぎ、蜂蜜色の前髪から覗く小高き鼻梁に歳嵩纏いたる沈丁花微か、覚醒為たなら純白な敷布は病臥の抜け殻と瞬いて、耳を澄ませば奥部 屋から漏れる揺蕩いの音に綻んだ。



円卓第三の席預かりたる凛々しい将校、身支度整え出戻れば、悠々羽根休めに満悦至極な風情の幼友達は純白の折り目高、三つ揃えに袖通し掛けて内隠しの空、 返還強請る流眄を歳下莞爾と赦した。
最愛の嗜好品を純銀誂えの蓋で馴染ます優雅、邂逅の月下から最早記憶に焼きつけた筈が、猶心奪われて一服の儀式を熟視めれば、聊か病窶れて色香際立つ歳 高、両切り咥えの儘片眉上げて戯けた。
酔い痴れに頬染めし少年、不意に胸許の仕舞い着信報せたなら愈々動揺為て上擦り、患者想いから架電の仲兄は片言に怪訝な様子も、受話器拾いし肩端揺する大 人の気配に小康得たりと読み取った。
付き切りの看病で明かした一夜を語り序で、秘密裡授かりし小瓶に深謝の言辞、優しい相槌で傾聴の医伯はたと沈黙すれば末弟口噤み耳翼欹てた。
少しく間を置き二言三言、手持無沙汰から燐寸箱かさかさ鳴らす八つ離れに小型の通信端末差出し、其れから後は大人達の遣取りを静やか窺った。
華奢な指先に挿めた紙巻弄りくすくすと上品な談笑、側置きの卓上、銀盆載せた水差し横に転がる硝子製を摘みて、大仰な溜息混じり服薬伝えた。

「やれやれ…昨宵の記憶は朧。然し、空と謂うならば左様の事実。」
『卿ほどの御方が其れと気付かぬ筈も無し…高熱の為せる業かな?』
「さて…學籍離れ相当な月日。」
『飛び級入學で総代攫った秀才が、僅かに三つ歳前を忘却の彼方?』
「随分と古い話だ。」
『医學界は爾来君の虜…復帰を切望する聲数多だ。地位も名誉も容易く手放し何処吹く風…些とも変わらない。僭越乍ら、卿が大切な戀の時節さえ無為に流して 仕舞いそうで、甚く心配。』
「美人は軆で憶える。」
『流石。』

共に研鑽積んだ二人は機知に富んだ掛合興じ、屈託無い笑み見せる紳士の背中越し、琥珀髪の少年、会話の端々繋ぎ合わせて夜半の介添えに多少の不安貌。
電話先、後学の為にと飲乾しの風味訊いたなら、…皆目。と芝居染みに左右振りて落胆の風情、歳下は咄嗟に甘露と小聲密めゐて助け舟も、顧みたる病後の一驚 喫した面持ちに口許五指で覆った。
話途切れを訝しむ同窓に誼で御座なり別れの口上、細長の人指しそろり唇から喉骨撫ぜて睫毛は羽搏き、心弛びから自滅至りし若齢の戸惑い勝ち上目遣いに、眉 間皺寄せ御手上げの苦笑を零した。

「病臥しに一服盛るとは中々…道理で曖昧。」
「ごめん…とても見過ごせる様な状況では無かったんだ。兄は処方に幾らか躊躇して、愈々の時にと諭されてゐた。」
「至極。」
「然んなに厭だった…?」
「……或いは。」

恢復し遂せた今時分、手段を選らぬ投与を浅薄と咎めらよう筈も無し、利きの上膊で八つ離れの細身な体軀抱きて、萎れた花貌の耳朶に幽けき艶聲。

―――placebo(偽薬)……。

縹の瞳瞬かせて小首傾げ、忽ち羞恥駆け巡りて火照りし面差し俯けた。

「左様な事を為て…大事に至らねば幸いだが。」

狼狽えの優美な鼻端人指し為て窘めたなら、愁眉を開いて木漏れ日の微笑。
少年の高潔なる本髄が片時も奥深き掴んで離さぬ事実を、如何様処すべきか思案し掛けたが、歳下腕(かいな)を暁の項髪に廻して然乍ら心読み、不滅の慈愛と 黙示した。



大聖堂の鐘が輪唱するには未だ一時、絨毯敷きの長い廊下を聊か眉顰める不行儀な急ぎ足、円卓十番目の騎士預かる執務室を叩扉も誰何を待たず。

「おはようございます!」
「御加減は如何ですか?」

元気溌剌な麗しの直下、珈琲の格調高き馨堪能しつゝ片眉上げし上職に大喜び、手に手を取合い嬉々飛び跳ねた。
開け放した這入り口から乙女達のはしゃぐ様伝わりて、早出の白燕尾纏いし凛々しき同僚達も御機嫌伺い、寄添い腰掛けたる仲睦まじき幼友達に慰労の言辞を呈 した。
黒髪の別嬪御参時にと作り置ゐたる甘菓子進ぜれば、手際良く整えられし白磁に淹れたて、華やぐ御喋りで予鈴迄のひとときを楽しんだ。





Fin.