ナイト・オブ・トゥエルヴが始めた午後の喫茶は、何時しかラウンズの習慣になり、今日も定刻になると騎士達は執務の手を休めて一堂に集っ
た。
だが、その職務上、内外の情勢に応じて戦闘地域以外に赴くこともしばしばで、毎回全員が揃うわけではなかった。
ここ数日空席となっている右隣を物足りなく思い、ジノは紅茶の芳しい香りを嗅ぐ素振りで小さな溜息を吐いた。
主催者であるモニカに勧められたマカロンを受け取ると、彼女はにっこりと話題の口火を切った。
「つい先程、ヴァインベルグ卿のお誕生日が明日だと伺いました。おめでとうございます。」
驚いて瞳を瞬かせるジノに、ドロテアとノネットも一足早く祝福の言葉を贈った。
謝辞を返したものの怪訝な顔をしていると、グラウサム・ヴァルキリエ隊が遠征先から連絡してきたのだと明かされた。
リーライナとマリーカは、今日になって上官経由でその事を知り、一緒に祝えないのを残念がった。
遠い異国の地から、どうか宜しくと託された三人は、早速プレゼントは何が良いかと尋ねた。
急な事に首を捻って考えていたが、特段欲しい物は思い浮かばず、じっと窺う女性達の視線に困惑した。
暫くティーカップの中の琥珀色を見詰めていたジノは、物ではないのですが。と前置きして、希望を述べた。
「今年のクリスマスは自宅に帰れそうにないので、休暇を頂けると嬉しいです。」
来月下旬からは、外交折衝のため他国に長期滞在することになっていた。
上の兄達と年の離れたジノを殊更可愛がっていた母は、家族と過ごす特別な日に息子が戻らないと知ると、ひどく消沈した。
一時は口数も減ったが、戦地ではないと聞くと安心した様子で、数日すると気を取り直した。
訳を聞いた三人が、謁見を終えて現れたナイト・オブ・ワンに直訴して、ジノは翌日の欠勤を許された。
同僚達の厚情に感謝して執務室に戻ると、明日の政務に支障を来たさない様、膨大な量の書類決裁に精励した。
両日分の事務作業を半日で終えるのは中々難しく、扉を叩く音に顔を上げた時には、初冬の月が輝いていた。
どうぞ。と声を掛ければ、ドロテアとノネットが、差し入れと称したバースデーケーキと紅茶を用意して立っていた。
ジノは羽根ペンを擱いて彼女達を部屋に招き入れ、その親切を素直に受け取って休憩を挟んだ。
仲の良いモニカがいないのを不思議に思っていると、程なくしてヴァルキリエ隊の二人と共に来訪した。
甘い香りと若い女性達のお喋りの声が広がり、夜の執務室は忽ち賑やかになった。
楽しそうに談笑するリーライナとマリーカだったが、いつも一緒に午後の喫茶を楽しむルキアーノの姿はなかった。
所在を尋ねると二人は少し拗ねた様子で、相手国との条約締結が難航した為に、未だ帰還していないのだと答えた。
「本当は私達が事後処理を引き継ぐことも出来たのですが、今回はダメです!」
「ルキアーノ様はヴァインベルグ卿のお誕生日の事を何も仰らなくて、今朝聞いた私達はとても困ってしまいました。」
「…………はぁ。」
「きちんとプレゼントを用意して盛大にお祝いしたかったのに、残念です。」
「何も出来なくて、本当に申し訳なく思います……」
「とんでもない!お疲れの処を来てくださっただけで、十分です。」
「まぁ…ヴァインベルグ卿……!!」
やわらかな微笑を向けると、肩を落としていた二人は薄く頬を染めて含羞んだ。
遣り取りを見ていたドロテアとノネットでさえも、ジノの眩い笑顔に少なからず動揺して目を細めた。
「……と…兎に角、今回は私達、本当に怒りました!」
「だから、ルキアーノ様にはお仕置きです!」
「仕置き?それはそれは、大した度胸だ。」
握った拳を高々と振り上げた二人は、冷や水を浴びせた声の方へ、ぎぎぎぎぎ……と視線を向けた。
入り口の扉に凭れて一服する上司の姿を認めると、ぱっと腕を下ろし、最上級の明るさで、おかえりなさい!と言った。
「随分長引いたみたいだけど、お仕置きは大変だった?」
「技術部とパーシヴァルの破損箇所を確認していただけの話だ。」
パイロット・スーツ姿のルキアーノにくすりと笑って尋ねると、不機嫌そうな表情を浮かべた。
聞く処によると、リーライナとマリーカは急用が出来たと言って早々に帰国してしまい、普段にない様子に敢えて咎めなかったらしい。
二人はしゅんと反省顔で、モニカからドロテアがケーキを焼くと聞かされては、とても平静では居られなかったのだと打ち明けた。
ナイト・オブ・フォーの腕前は有名だったが、激務に当たることの多い彼女の菓子を口に出来る機会は、極めて稀だった。
「ルキアーノ様も、召し上がりませんか?」
「一体、今何時だと思っているんだ?」
リーライナが大変美味だと勧めたが、ルキアーノは肩を竦めて辞退を示した。
「折角だが遠慮する。空き腹に甘味は堪えるからな。」
「あ、じゃあ……」
ジノは自分の為に切り分けられたケーキの苺をフォークに載せ、細心の注意を払って、そっとルキアーノに差し出した。
突拍子も無い行動に、それまで賑やかに歓談していた女性達の目は釘付けになった。
「……はい。」
「…………………………」
「ほら、早く…………!」
複雑な感情が入り乱れて硬直するルキアーノの目の前で、銀色の先端が心許無く揺れた。
落ちそう。と危ぶむジノの小さな声に、以前にも同じ様な事があったと思い出して、密かに苦笑した。
ルキアーノは僅かに小首を傾げると、ゆっくりと赤い果実を口に含んだ。
「…………シャンティが甘い。」
そう言って、ルキアーノは飲み止したままのジノのティーカップを傾けた。
「ちょっと何ですの、あれ……可愛い…」
「信じられません……。ルキアーノ様が、あんな事を!」
「ヴァインベルグ卿が羨ましいです……」
「いや、むしろブラッドリー卿の方が羨ましいな。日頃から健気に世話されていては、文句も言えまい。」
「ヴァインベルグ卿の前では、ブリタニアの吸血鬼も形無しだと思わないか?」
やや離れた場所から見守っていた女傑達は、ひそひそと感想を述べ合い、次の機会に備えて緻密な計画を練った。
纏まった話のまま進めば、来月にもドロテアの自信作に御目に掛かれそうだった。
部屋を後にしようとしたルキアーノは、ふと思い出した様子で、小さな丸いアルミ製のケースをジノに渡した。
握れば掌に簡単に隠れてしまう程の大きさで、蓋を回し開けると油脂が詰められていた。
仄かな匂いに練り香水かと問うと、ルキアーノは長い指先に少量付着させ、ジノの唇を軽くなぞった。
用途を教えると身を翻し、唖然とする相手を残して、何事も無かった顔で自分の執務室へと帰って行った。
部屋はしばらく静まり返っていたが、やがて同僚の女性達がジノの周りに集まり、手の中の化粧品に注目した。
貼られたラベルから、皮膚科医の権威が監修する、老舗のリップバームだと教えられた。
上下左右と更なる鑑定から市販品ではないと分かり、彼女達は口を揃えて、これがバースデー・プレゼントだと言った。
ルキアーノから最初に贈られた物は銀無垢の懐中時計で、十歳の誕生日から今日まで、正確に時を刻み続けていた。
人見知りの激しかった時分から、社交界に顔を出す度に携帯して、微かな振動にいつも心を落ち着かせた。
護符の様なものだ。と言って、時計の入ったベルベッドの小箱をぞんざいに投げて寄越したが、後にその価値を知って愕然とした。
ジノは制服の内隠しから時計を取り出し、静かに内蓋を開いた。
針がまもなく日付を越えようとしていた。
出会った当時のルキアーノの年齢に残り数年と迫ったが、記憶している鮮烈な印象は今も変わらず謎めいて、ジノを強く惹き付けた。
ジノは手元の小さな容器と銀時計を眺め、いつも自分を護る物しか選ばない彼の優しさを想った。
湯浴みで長旅の疲れを癒したルキアーノは、扉の外の異変に気付き反射的に身構えた。
何かが軋るような音は意外にも近くから聞こえ、疲労していたとは言え、相手の気配を察知出来なかったのは致命的だった。
内心舌打ちしつつ、暫く出方を窺っていたが、一向に動きが無く、不審に思いそろりと戸を開けた。
「お前か……」
ルキアーノは緊張を解いて、ふっと微苦笑を浮かべた。
隣室のサイドテーブルには固辞した筈の苺のケーキが置かれ、待ちくたびれたのか、ジノはソファでうたた寝をしていた。
ルキアーノは静かに部屋を抜け、執務室の文机から電話機を本体ごと持ち上げると、コードを引き摺りながら、一番端の窓際に立った。
ダイヤルを回すと、深夜にも関わらず、回線は驚くほど直ぐに繋がった。
「私だ。予定が変わった。仔猫(キティ)が一匹迷い込んだ所為で、今夜は戻れないと伝えておけ。」
『畏まりました。』
用件だけの短い通信を終えると、受話器をそのまま床に放置した。
時刻は零時を過ぎていた。
ルキアーノはもう一度隣室に戻ると、瞳を閉じたジノの耳元にHappy Birthday.と囁いて、ふわり、ブランケットを掛けた。