01. sigh

新しい年を迎えて、最初の月曜日。
鍵を廻した指先を吐息で温めながら、時折雪の舞い散る中をひとり静かに歩いていた。
そっと肺に送り込んだ真冬の空気は、忽ち軀の奥にまで達して、凛と沁み入る微かな痛みに瞳を閉じた。
遠く澄んだ蒼穹を見上げると、木漏れ日のような眩い微笑みを思い出し、逢いたさが募った。



三学期の始業式までは未だ数日残っていたが、いつもの会長の気紛れな一声で、生徒会の仕事始めが今日に決まった。
そろそろ冬休みに飽きてくる頃で、役員会の名の下に、一堂に会して持て余した宿題を片付けるのも悪くない案だと思えた。
早々に終わらせていた俺は、有無を言わせず教授役に任命され、相変わらずの強引さに振り回されるのは、今年も同じと悟った。
とは言え、定められた二週間の休暇に、多少の物足りなさを感じていたのが本音で、みんなと過ごす賑やかな時間を心待ちにしていた。
校舎に近づくにつれて部活動の練習する声が聞こえ、直ぐにでも懐かしい日常に溶け込んで、寂しさを忘れてしまいたかった。





最後に声を聞いたのは、クリスマスの午後に掛かってきた一本の電話で、慌しい帰国間際に時間を割いてくれたのが、素直に嬉しかった。
久し振りに親許に戻れると話す声に、次は何時と聞けないまま、空旅の無事を祈って通話を終えた。
それきり途絶えた連絡は、先輩と後輩以上の間柄ではない二人の距離を、如実に物語っていた。
厭という程承知していた筈の事実を、耳奥に留めた短い会話で、何度も掻き消そうとした。

―――先輩。

本当はずっとずっと、待ち続けていた。
逢えるとしたら十日振りで、約束も無いのに予定よりも早く家を出て、我ながら子供みたいだと苦笑した。

「先輩、待って。」

空耳ではない優しい声に、この密やかな片恋を大切にしたいと願った。
ゆっくりと振り向けば、少し離れた先で佇む、小春日和の暖かさ。
ただ其処に居るだけで倖せ過ぎて、その面影に胸を焦がした時間さえも、深い意味があったのだと理解した。
どうしてそんな風に、ふわりと微笑むことが出来るんだろう。
総てを包み込む寛大さは、切なくなるほど強く心を惹きつけて、失う怖さに仄かな想いを幾重にも封じた。
瞼を閉じて世界が暗闇になっただけで、生きてはいけないと思った。

「……太陽みたいだ。」

コツリと靴音を響かせて隣に並ぶと、身に纏った微かな香りが鼻腔をくすぐり、奥底に沈んだ澱が浄化されていく気がした。
小さく洩らした言葉を不思議そうに反芻する横顔は、雲間から射す穏やかな光に似て、降り注ぐ僥倖に瞳を細めた。
その仕草に瞬きすると、真意を汲みかねた様子で艶やかな金糸の一房を指し、ジノは僅かに首を傾げた。

金髪(ブロンド)のことですか?」
「それも含めて、……全部だ。日溜りのような笑顔で、いつも周りを明るい雰囲気に変えてしまう。」

ジノは怪訝そうに両頬を指で軽く摘むと、本当?と含羞を帯びた声で尋ねた。
無邪気さに噴出し、間違いない。と頷きながら、胸に広がるささやかな温もりを享受した。

「それを言うなら、先輩の方こそ……」
「何だ?俺は太陽とは程遠いぞ。人を幸福な気持ちにする力なんて、持ち合わせていない。」

くすくす笑って反論を遮ると、ジノは此方を覗き込み、俺の前髪を長い指で払うと、ありますよ。と囁いた。

「ほら、此処に暁の空が広がっている。朝日の予感がして、……とても綺麗だ。先輩が微笑むたびに、出会えた奇蹟を感じて、見惚れてしまう。」
「え……?」
「私を幸福で満たす力が、確かに此処に在る。苦しい程の胸の高鳴りを、伝えられたらいいのに。」

戸惑いを隠せずに、至近距離で揺らめく瞳を見詰め返すと、動悸が本物だと証明する為に、俺の指先を掴んだ。
手袋をしていないことに気付くと眉宇を寄せたが、こんなに冷たくして。と嗜め、優しく息を吹きかけた。
微かに触れる柔らかな唇に、灼き尽くされる様な眩暈を覚えた。



ジノは左手の手袋を抜き取ると、下端を丁寧に折って俺に嵌めた。

「あ、ぶかぶか。」
「うるさい!」
「…………………可愛い。」
「投げ付けてやろうか?」

ごめん。と謝りながらも肩を揺すって笑い、俺は眉間に皺を寄せて、わざと怒った振りをした。
もう一方も奪ってやるつもりで、涙の滲んだ碧眼の前に右手を突き出すと、ジノは何も言わずにそれを握り締めた。
狼狽して上目遣いに窺ったが、ふわりと木漏れ日の微笑を湛えて、そのままゆっくりと歩きだした。
急いで歩調を揃えようとした弾みで、繋いだ手を強く握り返すと、俯き加減にちらと振り返った。

「寒い?」

慌てて首を左右に振ると、また穏やかに笑った。
微かな陽光を浴びながら、みんなと待ち合わせた時間まで辺りを散策した。
途切れがちな会話の合間に指が絡まると、伝わる体温を逃さない様に、二人はそれきり沈黙を守った。
やがて静かに立ち止まり、遠くで聞こえるピアノの旋律に、しばらく耳を傾けていた。