06. 爛熟

ヴァインベルグ家の麗しい末子の交際範囲は日を追う毎に広まり、訪れる出会いが新しい風を少年の許へ運んだ。
歳の差も憚らず交際を強請った橙髪の紳士への敬慕は不変であったが、嘗ての窒息するかの濃密な時間は自然と薄れ、二人の週末は屡別個の用途に充てられた。
久方振りに顔を合わせては、稚い子供の殻を破り、緩やかにも一廻り大人へと変貌を遂げつつ在る歳下の姿に、淡紫の目を眇めた。
心身が意想外の早さで成熟に向かっても、名家の令息との往復書簡が途絶える事は無かった。
誠実な遣り取りを続け乍ら、ルキアーノ=ブラッドリーは、鳥籠の錠を解かれて猶二の足を踏み、幾度も振り返る美しい金糸雀(カナリア)に擬えた。
やがて自由と謂う名の翼を羽搏かせ、格子越しに憧れた蒼穹へと飛び立つものと、彼は最初から承知して居た。





ルキアーノの明晰な頭脳は、愛を不確かで移ろい易く、甘美な毒宛らに情動を煽る反面、兇暴に翻弄し、最後には消失する泡沫と解釈した。
最早暗褐(セピア)色の記憶に残るだけとなった双親からの慈愛も、彼が声高に生を享けて三度目の冬を見送った後、母の永逝を以て突然に喪われた。
名将の誉れ高かった父に妻殺しと憎悪され、情け容赦無い暴行の末に放擲されて爾来、彼は此れを不信と決めて厭い、心に虚無を伴った。
激しい虐待の傷痕は、今日となっては片目蓋の裏に薄く潜めるかりであったが、峻烈なる拒絶の烙印として何時迄も遺児を呪縛し続けた。
何故、母は身罷ったのだ?
根幹から湧く問いが唯一彼を突き動かし、才智の限りを尽くして明瞭な答えを貪欲に探し求め、此処に神と謂う存在の作為と朧に掴んだ。
漸く物心付き始めた時分の彼にとって、其れは試練の名を騙った謂われない暴力であった。
此の全き不条理を介し、“神は私を愛さなかった。”とする極論に辿り着き、反旗を翻す手立てに不穏な破壊行為に及んでは、対峙する存在と認知した。
大切なものを奪われた創造主の愛し子達が、悲嘆して連鎖式に運命を呪えば、結果的に彼の死ぬる迄の暇潰しとなった。
名家の末子の居ぬ週末、悪徳の宴に於いて輝く白刃が断末魔の叫びを響かせても、復讐の感慨は極めて薄く、満足を得るには程遠かった。
兇器が焦らす様に柔肌を引き裂けば、生命の象徴たる生暖かな血飛沫が飛散し、標本通りに蠢く臓腑が晒されたが、柳眉すら不動であった。
被虐に悶える姿は寧ろ至上の歓喜に似て、殊更興醒めた。
後に契約を履行して軍籍に身を置いた彼は、此の非生産的な遊戯を戦果と認められるのが、滑稽で仕方無かった。



歪な自己肯定は、愛と命を一種の相似と見做した。
何れも得る為の前提があり、手に入れば守る責務を負いつつも、執着と放任を繰り返し、不可抗力に奪われる段に至って、遅蒔き乍ら縋る。
其の概念を知識として会得出来ても、過去の経験則から、最期には背信する魔物と捉え、諸人が希求する様は甚だ謎深かった。
裏切りには、死を以って贖うのが相当とした。
人々が名家の歳若い主を懸想して胸焦がすのは至極勝手だが、何れ丈注がれようとも、愛は彼の空虚な心を透過するだけだった。



ヴァインベルグ家の可憐な末子の存在は小さな波紋を生じさせたが、彼を取り巻く人々が然うであった様に、遠からぬ離別が訪れれば、別条の無い普段の生活に 還るだけと予め心得ていた。
木陰に隠れていた手負いの仔猫は、あえかな容姿に総てを見透かすかの清澄な碧眼が印象的で、内気な気性と礼節を弁えた慇懃さに惹かれた。
一夜の気紛れの積りが知らぬ裡深みに嵌り、冷たい硝子細工を想わす瞳に秘めた情熱が、躱せた筈の切実な交際の申し出に諾と言わしめた。
稚い貴公子のひたむきな思慕の前では、最奥に潜む黒い嵐さえも凪ぎ、不思議と粗略に扱えなかった。
少年と過ごす週末はいたいけな優しさに満ち、向き合う術を持たぬ橙髪の紳士は、揺らぐ足許に誤魔化し様の無い戸惑いを覚えた。
未だ両親の庇護下で育つ友人が余所と交流を持てば、やがて二人は分岐点に達し、見失い掛けた自身を繋ぎ止められるものと読んでいた。
たまさかの添い臥しに、握り返す幼い楓の温もりが、只其処に在る感情を突き止めたとしても、彼は愛から目を逸らし続けた。





其の晩は、件の紳士倶楽部の主催者である侯爵の邸宅で、各国の大使や皇族方をも招いた盛大な舞踏会が開かれた。
ブラッドリー家の秀麗な当主が正式な招待しか受けないと知るや、彼は頼れる伝を全て使い、積極的に社交の場を提供した。
若き才頴を一目見る為、莫大な財と労が費やされたが、紳士は其れが僥倖に巡り合う最も有効な手段だと信じて疑わなかった。



此の会にはヴァインベルグ卿も臨席しており、幼い末子も日頃から仲睦まじい次兄と共に、華やかな夜を楽しんでいた。
やがて場内に嬌声が上がり、正面口より離れた場所で談笑に興じていた人々にも、夜会服を粋に着熟した貴公子の到着が知れ渡った。
流麗な円舞曲(ワルツ)の演奏が終わると、金髪の小公子は煌びやかな衣装を纏った大人達の群を避け、八つ歳上の友人を探し歩いた。
時折爪先立ちして広い場内を懸命に見回すも、御目当て相手の姿は無く、何時もの様に、屋外で一服燻らせているのであろうと嘆息した。
テラスへと抜ける大窓に向かって一歩踏み出すと、不意に背後から呼び止められた。
喫驚して振り返れば、其処には招待主の侯爵と同輩と思しき初老の紳士が、にこやかな笑みを浮かべて並んで居た。
男性が警護を伴っている様から、高貴な身分と素早く推察し、ヴァインベルグ家の末子は作法に則り、鄭重な挨拶を述べた。
気持ちの強張りから薄桃に頬染めた少年は、先方が隣国の大公と知るや一層恐縮し、二人に促される儘素直に舞踏場を後にした。



通された休憩室で、ジノは芳しい紅茶と焼き菓子を振舞われた。
可憐な少年の真珠を想わす歯列が、上品に茶請けを咀嚼する様子を、侯爵等は満足気に目許を綻ばせ眺めた。
清楚な金髪の貴公子と言葉を交わした大公は、短い会話の端々から怜悧な資質を見出し、小児への嗜好を滾らせて、無意識に口角を吊った。
彼は懐から煙草入れ(シガレットケース)に似た銀色の薄い小箱を取り出すと、蓋を開いて中身を愛らしい少年に向けた。

「此方は我が国自慢のショコラ。御一つ如何かな?」

甘い菓子と謂い乍ら、白い錠剤(タブレット)を勧められた稚いヴァインベルグ家の末子は、大公の意図する処が解せず困惑の色を滲ませた。
高貴な来賓の隣に腰下ろした侯爵はまた、別な思惑を込めて、小公子の一挙一動を見守っていた。
然る歳若い名門の主に情熱的な恋心を抱き続けた紳士であったが、想い人から疎遠にされた経緯が此の幼子に関係すると知り、怒り狂った。
斯様な性的傾向の大公に、此れを篭絡させる目論みで手引きし、今、逡巡しつつも、主催者の同席に信頼して伸ばされた細指を見詰めた。
老獪な大人達が北叟笑んだのも束の間、遠からぬ場所から氷雪の響きで声を掛けられ、座は忽ち緊張に凍りつき、一切の動作を停止した。

「失礼、私の仔猫(キティ)が何か?」

ルキアーノ=ブラッドリーは萎縮する紳士達を一瞥して少年の傍に寄ると、其の手の薬剤を取り上げるなり、握り締めた拳の力で粉砕した。
密計を看破された侯爵は、青年の放つ冷酷な眼差しに竦み上がり、最早声すら出なかった。
名家の末子は初めて目にする歳上の徒ならぬ様子に気圧され、狼狽の面持ちで起立し、向かい席への黙礼で直ぐ様の退席を示唆した。

「……待ち給え。」

如何にか絞り出された大公の嗄れ声が、二人の足を其の場に止めた。
大人の澱んだ視線は、不安の色を刷いた麗しい少年から、幼い背後で毅然と佇む端整な青年へ静かに遷移した。
歳老いた彼が目配せすれば、傍に控えた従者は恭しく鈍色の短銃を差し出し、衰え窺える手でぎっしり詰められた弾丸を全て抜いた。
卓上に整然と並べた薬莢の中から一つを小公子に選らせ、震える白い楓が定めた其れを装弾すると、焦らす様にシリンダーを回転させた。

「公!」

そろり置かれた不穏な火器に、侯爵は瞠目した。
強く諌める声が部屋の四隅へ響き、聞きつけた招待客達は思い掛けぬ空気を素早く読み取り、俄かに彼等の周辺に集った。
大公は手品でも披露するかの様に戯けて見せたが、人波から漏れるざわめきは、最早彼自身と相対する青年の退路を断ち切った。
ルキアーノ=ブラッドリーは歳下の細い襟首に結わえられた蜂蜜色の滑らかな毛束を弄び乍ら、退屈そうに先方が口火を切るのを待った。

「御二人の仲はさて置き、其方の可憐な方を見過ごせるほど、私も耄碌して居ない積りだがね。」
「無粋な賭けだ。」

あからさまな挑発を辛辣に返し、橙髪の貴公子は幼い耳朶を食む仕草で蠱惑的な唇を近寄せ、意味有り気に何事か囁くと、人垣から現れたヴァインベルグ家の次 子の許へ少年を遣った。

「……さて。」

然したる感慨も無い風情で歳若い名門の主が振り返れば、兇器を挟んで対時する二人の姿に、周囲はごくり固唾を呑んだ。
幼少期から兵籍入りを嘱望された青年は、絢爛な装飾の施された拳銃に手先を伸ばすと、静かに右眦の端に宛がった。
観衆のどよめきは場内に轟き、青褪めたジノ=ヴァインベルグは、日頃人前では決して呼ばぬ親友の名を絶叫した。

「ルキアーノ!!」

細長い指が躊躇わずトリガーを引いたが、静寂にカチリと乾いた金属音を残したのみで、無事を知った人々は一様に安堵の息を吐いた。
次は大公と誰もが順を予期する中、橙髪の紳士は銃を添えた儘、私は気が短い。と不遜な笑み湛え、続け様にもう二回引き金を鳴らした。
貴婦人達の絹を裂くような悲鳴が反響し、思わず顔を覆う紳士や失神する令嬢も続出したが、終に彼は其の場を微動だにしなかった。
名家の末子は恐怖に心臓を鷲摑まれ、繋いだ兄の手を強く握り締めたきり、瞬きすら忘れて一部始終を見届けた。

「残りは貴公の持分だ。」

ブラッドリー家の当代は贅を凝らした短銃(ピストル)を机上に戻すと、向かいの一人掛け(シングル)に腰を下ろして、悠然と足を組んだ。
戦慄しつつも、大公は兇器を手に取って銃口を米噛みに押し当てたが、動揺の甚だしく、人差し指が思うように掛からなかった。
青年は頬杖を突いた手の先で、煽情的な薄い唇を擦(なぞ)り乍ら、真冬にじっとり汗ばむ初老の紳士を気怠げに眺めた。

「如何した?私は気が短い。と謂った筈だが……?」

美しい氷の微笑に、大公の心拍は極限まで速まり、立会人である侯爵は、冥界の金星。と心密かに称賛して、陶然と見惚れた。
室内は緊迫した雰囲気に包まれ、人々は危機を孕んだ次の展開に注目した。

「御二方、どうぞ其処迄。」

命懸けの賭け事であったが、登場した帝国の第二皇子が仲裁に入ったことで惨劇を免れ、貴顕達は宰相の勇気を口々に褒め称えた。
皆が低頭する最中、既に勝利を手にしたも同然の青年だけは、一瞥を呉れたのみで威儀を正さず、戦いを挑んだ老紳士と対していた。
シュナイゼル=エル=ブリタニアは両者の前に進み出ると、大公の震える手から優しく銃を抜き取った。

「ブラッドリー卿、此処は私に預けて貰えないかい?」

拗ねた子供の機嫌取りに似た口振りも、彼の鋭敏な感覚は、何時も其処に潜む巧妙な策を匂い取って、猶更辟易させた。
斯様な馬鹿げた決闘を受けた所以は、其の実、愚鈍な権力者を囮に、軽薄な微笑みの假面を被る眼前の男に顕示する為であり、奏功しては最早鼻先で遇った。

「決定権は、本人にのみ。」

ゆったりと肘掛に凭れた儘、金髪の少年を見遣ると、シュナイゼルは温和な色を満面に浮かべ、ヴァインベルグの可憐な末子を呼び寄せた。
ジノは心配する兄の手を一度強く握ってから離し、第二皇子に慇懃な御辞儀で感謝を示して、八つ歳上の親友の前へと進み出た。

「ルキアーノ…御願い……此れ以上は、もう…」

ぐるりを取り囲む客人達の意識が集中するのを感じ、高貴な浅紫の瞳を見据えて気持ちを伝えるだけで、幼い少年には精一杯であった。
ルキアーノは真っ直ぐな蒼穹の眼差しを受けて静かに睫毛を伏せ、再び無垢な双眸を認めると、了解した。と明瞭に答えた。
凛とした声音に周囲は漸く緊張から解放され、危機的状況を収拾した名家の子息に向け、感嘆の声と惜しみない拍手が巻き起こった。
小公子は賞賛の嵐に狼狽し乍らも、肘掛けから軀を起こそうとした橙髪の青年に素早く近付き、精悍な頬にそっとくちづけて含羞んだ。
少年の可愛らしい謝礼に集った紳士淑女は色めき立ち、幼い接吻に一刹那面喰った賭けの勝者は、大胆な仔猫だ。と肩を竦めた。



やがて、舞踏場から夜会の続きを催促する軽快な音楽が流れ、取り残された管弦楽団(オーケストラ)の粋な演出に、渦巻いていた人波は談笑と共に退いた。
宰相もまた流れに乗って部屋を後にし掛けたが、手許に預かった銃を思い出し、ふと外に向けて精緻な引き金を放った。
三度目に至って、華麗な銃身から夜空に轟音が木霊すと、連れ立っていた側近は、歳若い名門の主の強運に思わず息を呑んだ。
学友でもある某伯爵が間延びした声で、殿下の負けですねぇ。と意味深な判定を下せば、賢明な皇子は不服も申し立てず苦笑を浮かべた。
超大国の頭脳と謳われる彼は、自身が止めに入る迄を充分に勘案の上で、遠縁の紳士が命懸けの牽制を演じた事実を、此処に至り漸う了解した。
金髪の麗しい小公子を密かに懸想していた皇子であったが、謀略の手を陰日向に阻む彼の激情には到底敵わぬと、過去の浅薄を漸う悟った。



ルキアーノ=ブラッドリーは茫然自失する主催者の侯爵に向い、左様ならだ…アルフォンス。と短い決別の言葉を告げて、席を離れた。
彼は傍に確と寄り添う少年を兄の手に返すと、其の脇に立つヴァインベルグ家の当主に一連の騒動を謝罪した。
事の仔細については改めて書簡を送ると約束し、ルキアーノは懇意の親子の許から立ち去った。
ジノは胸の内に燻る感情を抑止できず、直ぐに後を追おうと一歩駆け出したが、何時もは優しい兄にか細い腕を素早く掴まれ、嗜められた。

「でも、あんな危険なこと……」
「ジノ。卿を非難する積りなら、見当違いだ。お前の不手際から来る責を負うべきは我々であり、彼は身代わりに、あの様な暴挙を受けて立ったのだからね。」

幼さ故に未だ世間と謂うものを知らぬ末子は、兄の冷静な言葉に居た堪れなくなり、瞳一杯に涙を溜めて、ごめんなさい。と俯いた。
父は小さな身体を唯々強く抱き締め、其の場は何も言わず、愛おしい彼等を連れて家路に就いた。



ヴァインベルグの本邸に戻るなり、親子三人は着替えも後回しに、早々家長の書斎に篭った。
父と兄は稚い末子の辿々しい語り口から事件の発端を聞くと、年端も行かぬが為の危うい行動に長嘆した。
自分の非を理解出来ぬ少年に、普段は快活な兄がやや躊躇いがちに、大公が“ショコラ”と勧めた物は紛れも無く媚薬であり、“御一つ如何?”とは、つまり閨 に誘われたのだと説いて聞かせた。
相手の地位を考慮すれば、仮に意味を解していても、謝絶は容易無かった筈である。
大公の嗜好を一瞥で看破したルキアーノが、敢えて“私の仔猫”と割って入らなければ、四男の純潔は果たして保障されなかった。
不思議そうな顔をする末の弟に、兄は少々困惑した様子で種明かしをした。

「ブラッドリー卿は、二人の出逢いを仲立ちした“仔猫(キティ)”をお前の愛称とするが、実は…一つ枕で眠る相手を指す、隠語なのだよ。」
「え?!」
「諸説あるが、猫の睡眠時間は実に半日以上…其れを“寝子”と言い換えて、普通なら愛妾の隠し言葉。“仔猫”は……もう、解るね?」

少年は、二人が常から添って就寝する事実との符号に愕然としたが、勿論、彼流の洒落だ。と家族は目許を綻ばせた。
大人社会に不案内な自身の未熟さを恥じたが、猶も友人の命知らずな行動に不承顔を隠せずにいると、父は穏やかな口調で、間際耳打ちされた件を尋ねた。
途端、ほんのりと桜色を頬に滲ませる様を見て、おや。と質問を取り消そうとしたが、ジノは口籠り乍らも、そっと秘密を打ち明けた。

「ルキアーノは、“私が斃れた時は、大公の誘惑を全力で拒絶しろ。此の命の対価とするには些か不足。祝福のくちづけ欲しさに、大人気なく無謀な賭けに出た ものだ。”と。それで……勝利を収めた相手に接吻するものだと……あの、僕……何か間違った事を?公の意図が上手く読めなくて……決闘の際には、然うした 駆け引きがあるのですか?」

赤面して上目遣いで窺えば、大人二人はきょとんと顔を見合わせ、次兄は堪え切れず、終には豪快に笑い転げた。
ヴァインベルグ卿は、白皙の頬を膨らませる末子を目の端で捉えつつ、歳若い名家の長が、故意に親密さを誇示しようとも、全く退く素振りの無かった老紳士を 思い出し、拳を強く握った。
其れと同時に、大衆の面前で申し出を受けた事で、此れ迄陰に潜んでいた四男に対する無数の危惧をも一蹴した彼に、重ねて深謝した。
卿は愛児の小さな頭を優しく撫でると、最も重要で難解な問い掛けを行った。

「ブラッドリー卿の事が好きかね?」
「はい。」
「…では、一切を受け容れなさい。卿の誠意は本物だ。」

即答した末子の清澄な瞳が僅かに揺らいだが、暫く沈黙して父の言葉を反芻すると、こくりと一つ頷いた。
父は此の件に関する話を其処で打ち切り、愛しい二人の息子達をそれぞれの部屋へと帰した。



一日を終えて褥に潜り込んだジノは、ルキアーノの心音を確かめる如く耳翼に銀時計を宛がい、人知れず濡れた睫毛をそっと伏せた。