細い手首を斟酌ない力で掴まれ、柳眉を顰めたのも束の間、乱暴に投擲されて天蓋付きの撥条(スプリング)が激しく軋んだ。
咄嗟に体勢を立て直そうとしたが、冷たい大人の指先が忽ち肩口を押し倒し、小さな軀は容易く純白の敷布に沈められた。
戸惑う幼い下顎を掬い上げれば、揺らめく瞳の中に酷薄な色を浮かべた自身を認め、ルキアーノ=ブラッドリーは永久の訣別を想った。
―――勝者は私だ、仔猫(キティ)。
抑揚の無い冷淡な声で宣告を受け、刹那、組み伏せられた儘、獰猛なくちづけに襲われた。
不意討ちに激しく狼狽して、迫る胸先を必死に押し返そうと試みるも、か弱い子供の抵抗は易々と往なされ、更な深みを増した。
真意を忖度しようとした隙に堪能な舌先が歯列を割り込み、口腔を灼熱の温度で蹂躙した。
兇暴な接吻は、年端も行かぬ未熟な肺に留まる酸素を奪い尽くし、視界が霞んで意識が朦朧となり掛けた処で、漸う解放された。
白皙の面差しに映える唇は赫く艶めいて慄き、華奢な両肩を上下させて懸命に空気を取り込めば、肋骨の並びの奥が引き攣った。
眉間に皺寄せて苦痛を遣り過ごしたのも束の間、ルキアーノは少年のまるい頤を甘噛みし、稚い喉笛を舐め上げた。
驚愕の余り、名家の末子が身動ぎ一つ出来ずにいると、結い紐を解いて黄金色の項髪を掻き上げ、ほっそりとした窪に唇を這わせた。
「…………ぁ………」
其処に触れられた丈で総毛立ち、思い掛けず零れた微かな嬌声に強い羞恥を覚え、碧眼をきつく閉じた。
ルキアーノは邂逅の夜に記憶した秘密をクスと鼻先で嗤い、繊細な首筋を舌下で緩やかに撫ぜた。
「…ッ…や……ぁ…」
全身を駆け巡るぞわりとした感覚を追い遣ろうと、小公子は胸板を反らせ、圧し掛かる不条理な力に抗った。
薄い肩甲骨の羽搏きにも一向構わず、紳士は柔らかな金髪の後れ毛の下にくちづけ、火傷にも似た熱い痛みを細首の裏に残した。
「…ひ…ぅ…ッ……」
ジノ=ヴァインベルグは強張った軀を小刻みに震わせ、此の不当な仕打ちが何を意味するのかを懸命に考えた。
灼けた傷痕を慰撫するかの様に、彼の温かな舌は繰り返し其処を掠め、ちゅ。と唇の離れる音が響く迄、長い睫毛を伏せて如何にか凌いだ。
容赦無い力が上衣(シャツ)の身頃を一瞬で引き裂き、弾け飛んだ釦が方々に散らばった。
まさか。と謂う思いでジノは上目遣いに相手を窺ったが、彼は薄ら氷の冷たさを湛えた瞳を、僅かに眇めた丈であった。
開けた打ち合わせから侵入した長い五指は、首許から鎖骨をなだらかに辿り、薄紅色を挑発して鳩尾に流れた。
「…ゃ……厭だッ…」
貞操を脅かされ、少年は本能的に身を捩って拒絶を示した。
逃げ惑う弱々しい肩口を造作無く屈服させると、ルキアーノは一対の淡い蕾をそっと啄んだ。
途端、名家の末子はびくりと大きく仰け反り、紛うこと無き暴挙に戦慄し、半狂乱の体で我が身を拘束する腕に爪立てた。
橙髪の貴公子は抵抗に舌打ちし、ぎりり握り締めた手首をシーツに縫い付け、一層荒々しく少年の軀を玩弄した。
二つの幼芽はしっとりと濡れて色めき、薄い唇が伝った後の真っ白な柔肌には、深紅の花弁が此処其処に散った。
斯様な秘戯はルキアーノの嗜好に合わなかったが、小柄でしなやかな肢体は深みのある色香を放ち、静かに雄の情動を掻き立てた。
低体温な指先が下衣(ズボン)の比翼を軽く擦れば、可憐な面差しが忽ち青褪めた。
如何にか此の狼藉を躱そうと、漸う自由を得た片手で懸命に虚空を藻掻くうち、ふとした弾みで幼い指先が相手の瞼を掠めた。
風船が割れる音に似ていた。
ルキアーノは遠い過去に傷めた片目を覆いつつも、自身が払った手の感触に束の間呆然とした。
口端から鉄の苦味が徐々に広がり、少年は衝撃を受けて赤く腫れた頬を、小さな掌でそろり庇った。
初めて搏たれた事実に戸惑いを隠し果せず、入り乱れた複雑な感情が決壊したかの様に、澄んだ空色の瞳から、ぽつと涙が零れ落ちた。
「ルキアーノ……如何して、こんな酷い事をするの?」
幼弱な軀を震わせ、か細い湿り声で発した言葉は、手厳しい非難では無し、純粋な問い掛けだった。
少年の高潔で寛容な心の本質が示す貴い何かを、仮にも愛と喩えるならば、ルキアーノは是が非でも此れを否定しなければならなかった。
何故なら其れは、必ず最期には背信する不条理な仇敵の化身であり、其の破壊が彼の明確な存在理由だったからである。
切れた唇から滲み出た鮮やかな生命の象徴が枯渇すれば、永訣を代償にささやかな復讐が叶えられた。
彼は幼顔のまるい頬の下、半凝固した血液を舐め取り、しゃくり止まぬ頤を僅かに開かせ、其の儘の舌先で内外の両側から傷口に触れた。
時折こくんと喉を鳴らし、小さな口腔の苦味を取り除くと、白い耳朶にTime to say“Good-bye”.と密やかに囁いて、そっと唇を重ねた。
捧げられた至上の優しいくちづけに、ジノは永遠に違わぬ彼の美質を想い、溢れる瞳を静かに閉じた。
寛げた襟許からタイを抜き取ると、ルキアーノは少年の細い両手首を一つに纏めて上げ、天蓋の支柱に縛り付けた。
病後の幾分痩せた軀に指と舌を這わせると、もたらされる甘美な熱を享楽しきれず、微かな喘ぎ声で、もうやめて。と懇願した。
戒めに縋る姿は橙髪の貴公子に初めて背徳を感じさせたが、彼は今更乍らの意識を密かに自嘲し、猶も純潔を翻弄し続けた。
小作りな仕立の前閉じを焦らす様にゆっくり下ろすと、下穿きの中で眠る曲線に指爪を滑らせた。
「ッ…駄目…ルキアーノ、其処は…あ…あぁぁッ……」
喫驚して反射的に退いた細腰を腕に抱き、弦を弾く仕草で苛むと素直に煽りを受容した。
ジノは唇を噛んで己の姿態を深く恥じたが、長い指を絡めて強弱を加えれば、堪らず身悶えした。
「お願…い…やめ…ゃ…ぁ…ルキ、は…ぅ…あ、ぁ…」
繊細に震える蜂蜜色の睫毛からは潤みが伝い落ち、桜色の薄い皮膚を通して拍動が強く響いた。
いじらしい羞恥に、自涜の穢れさえ無い完璧な処女性を見抜くも、彼は儚げな腰骨にくちづけて禁忌を破った。
熱を帯びた全体を包み込んで、絶え間なく責め立てると、八つ歳下の少年は激しく乱れ、絹で束縛された手首が擦り切れた。
「…ル、キ…厭だ…ッ…怖い…ぁ…、あああぁぁッ…」
官能的な衝動が絶頂へと導き、小さな軀に秘めた苛烈な焔が爆ぜた。
極点に達したジノは横暴な手の内に白濁を残し、捕らえられた腕の中で、翼を捥がれた小鳥宛らに力尽きた。
精通後の凄まじい倦怠感に襲われ、微睡に落ちつつも、残りの衣服を手早く剥がされていく様子を感じた。
彼は掌の不浄を拭った手巾(ハンカチ)をぞんざいに投げ捨てると、少年の柔らかな内腿に付着した飛沫を唇で清めた。
余韻の最中にあった肢体は過敏に反応し、弛緩した膝を咄嗟に閉じ掛けたが、両の足首を掴んで強引に割られた。
残滓を辿りながら膝裏を掲げられ、此の上無い恥辱に堪え兼ねて、ジノはきつく眉宇を寄せて嗚咽を漏らした。
無防備な場所を掠める生温い感触は、とろ火の様に淫靡な熱を焚きつけ、従順な艶めき声にルキアーノは北叟笑んだ。
肌理の細かい雪肌が清浄に戻ると、握り締めていた足首の先、ほっそりとした甲にくちづけて、小さな親指を緩く噛んだ。
予期せぬ出来事に瞠目する小公子を、挑発的に見据えた儘、爪先に舌を絡めて丁寧に滑らせた。
眩暈がしそうな程の誘惑に、ジノは強く奥歯を食い縛ったが、踝を擦り終えると、下肢にも数多の鬱血痕が散らされた。
熱い吐息に紛れる少年の嗄れ気味な声は、頑なに堕落を拒み続け、其の気高い矜持が彼の焦燥を駆り立てた。
きつく閉じられた小さな掌を抉じ開けると、薄皮が剥けて爪の形がくっきりと刻まれ、歳上が唇で触れた丈で苦悶の表情を浮かべた。
まるい額は薄らと汗ばみ、未だ腫れの治まりきれない濡れた頬には、掻き乱れた細く眩い金糸が纏わり付いていた。
痛めた口端に掛かる髪を払おうと彼が伸ばした指先に、ジノは瞬間、びくりと首を竦めた。
無意識的な身構えに自身で一驚し、……あ。と罪悪感を滲ませる様が、小公子の純真を証明となり、此の狼藉の空虚さを啓示した。
悔悟を促す何かに謂い様も無く苛立ち、ルキアーノは稚い肩口の柔らかな素肌に歯を立てた。
「ぃ……た…ッ…」
突然の激痛に涙の粒が零れ落ちたが、更に傷付くのも厭わず十指をぎゅっと握り、込み上げる悲鳴を喉奥で押し殺した。
加減無く喰い込む兇器に毫も抵抗せず、一心に虐待を赦免する深い慈悲の精神は、傲慢な略奪者に大きな揺さぶりを掛けた。
次第に余裕を奪われ、其の腹癒せとばかりに赤紫色した噛み痕に爪立てると、息も絶え絶えに瞼を閉じ、耐え忍ぶ姿を見せた。
「…ぅ、ッ…ぁ…」
漏れた微かな伸吟を唇で塞ぎ、口蓋の酸素を略取すれば、幼い四肢がカタカタと小刻みに震えた。
伏せた黄金色の睫毛の下、眦から悲しみが伝い、細首に掛けられた長い指を潜り抜けた。
渦巻く焦慮から、傍の小卓に置いた先端の鋭利な銀匙を掴むと、私を憎め。と囁いて、少年の柔らかな二の腕を力の限りこそいだ。
「あああぁぁッ…!!」
焼き切られるかの熱い激痛が走り、凌ぎ切れずに悲鳴を上げた。
雪白の玉肌に浮かんだ醜い朱の一条は、空気に触れれば、筆舌に尽くし難い痛痒さを伴い、雁字搦めの戒めも構わず身悶えした。
「堪らなく淫らだ。」
ルキアーノは恍惚として匙を舐めると、有無を謂わさず、生々しい傷痕の直ぐ真横を先より強く削いだ。
細く伸びた朱線は表皮を裂いて、じわり温かな血液が染み出たが、金髪の小公子は蒼白になり乍らも固く目を瞑り、責め苦を遣り過ごした。
噛み殺された叫びの代価に、壮絶な仕打ちに戦慄く膝上を一層深く引掻いて、滲出した赫い雫を舌先で絡め取った。
奇しくも出逢った月夜の光景が再現され、紳士は二人にとって忘れ得ぬ幸福なひと時を、絶望的な暗黒の記憶に塗り替える好機と捉えた。
「お前の大切なものは何だ?純潔か矜持か……愛?それとも命か?」
鬱血の花弁が刻まれた肌を銀食器で弄びながら、ルキアーノは謎解きの様な問答を仕掛けた。
ジノは切っ先の脅威を甘受しつつ、究極の難題を突きつけた意図を推し量り、沈思黙考した。
「純潔なら穢し、矜持なら貶め、……愛なら引き裂いて、命なら…」
彷徨っていた兇悪な刃が幼い鼓動の真上を掠め、欺瞞の在り処を暴こうと狙い定めた。
返答を催促する素振りで見詰めた少年の瞳は、蒼穹の輝きの中に憂いと至純の優しさを湛え、此の最期の瞬間にも決して逸らされなかった。
「……ルキアーノ……今、僕の心の一番奥深い処に居るのは……紛れも無く、君だ。」
憧憬し続けた揺るぎない情熱に、絶句した。
ルキアーノを終始跪かせてきた神聖な光は、理不尽な暴虐を以ってしても全くの不可侵を貫き、崇高な美しさで彼を圧倒した。
「僕が望みなら、君に捧ぐ。」
凌辱は、明白で確実な手段である筈だった。
痛ましい痕跡を留め乍らも、潔白な精神で不実を寛恕し、虚偽の渇愛と謀略さえも包容した。
「君が厭だと謂うのなら、最早二度と逢えなくなろうとも……ルキアーノ、僕は君を大切に想い続ける…」
自身の選択如何で、眼前の稚い無垢な存在を永遠に喪うと想像し、橙髪の貴公子は慄然とした。
邂逅の月夜から今此の瞬間に至る迄、少しも色褪せる事の無かった真実は、彼の中に眠る遠い記憶を想起させた。
昔日のルキアーノが、如何なる屈辱も堪え忍び、唯一切望し乍ら、終には見果てぬ夢となったやさしい温もり。
在りし日の自身の面影を宿した少年を、其れと気付かず手許に置いた真相を、仮にも愛と喩えるなら、―――。
「処女の軀を呈して真正の証明とするとは、何とも尊大な心掛けだ。辱めの代償に愛を請うのか?」
悲憤する幼い下顎を掴み上げると、露を溜めた淡青の瞳の奥に、激烈な焔にも似た感情が揺らめいていた。
業火となって焼き尽くされるなら本望と、冷酷な言葉で愚弄した。
「私の飼い猫になるか、仔猫(キティ)?」
ジノは唇を噛んで挑発を受け流し、巧妙に包み隠された真意だけを探求した。
彼の慧眼とひたむきな情愛が、提示された本質の偽装を看破しても、反証を挙げるには未だ重大な要素が不足していた。
「愛とは、掴んだ傍から裏切りの爪痕を残して滑り落ちる、儚い幻想に過ぎない。」
「……愛とは、最も気高く貴い慈しみの心だ。」
「傲慢で嫉妬深く、永遠と錯覚させて怠惰に陥れ、恣に移ろい、やがて喪われる命そのもの……。背信する暴力。」
辛辣な拒絶はルキアーノの興醒めた行動様式の根幹であり、二人の決定的な相違であった。
彼の定義を否定すれば、彼の歴史は忽ち堆積した時間の抜け殻に変容して、猶も彼の定義の枠内に留まり続けた。
「君の命は、御両親の愛の結晶。其の事実を蔑ろにして、大公の銃を宛がった理由を、君は一時の戯れと謂うの?」
「この私に逆説が通用すると思ったのか?遺棄された命が、愛に報いる義理など無い。生も死も、神の気紛れな作為だ。」
「ルキアーノ……僕は、君が望む愛の形で君の命の尊厳を護る。如何なる犠牲も厭わない。」
嘲笑し、閨房の相手に誘った。
矜持を深く傷つけたにも拘らず、ただ穏やかに一切を受容する姿勢を貫いた。
其のいたいけで純真な覚悟は、幼少のみぎりに帯革で搏たれ乍らも、ひたすら片親を求め続けた自身の投影であった。
彼は逡巡しつつ束縛の結び目を解いたが、少年は自由を得て猶身動ぎ一つせず平静を保ち、銀色の兇器を手放さない、強い猜疑の心に誠実を示した。
忽ち溶け消える初雪に触れるかの如き恐々と、指先で白い頬を撫ぜ、ルキアーノは古い記憶を辿り乍ら、まるい額を覆う柔らかな金髪の生え際に、そっとくちづ
けた。
瞼へと移った薄い唇が、長い黄金色の睫毛に含まれた露を払い落とすのを、ジノは瞳の内の暗闇の中で感じた。
眉間から小高い鼻梁を滑り、痛めた口端の上へと微かに触れる冷たい鼻先は、躊躇いがちな睦み合いの仕草であった。
だが、幸福だった頃の情愛のしるしは、甦ったルキアーノの悲惨な過去によって不意に途絶えた。
「愛は必ず醒める。」
惜しみない慈愛を注いだ父は、折檻を忍んだ彼の元から立ち去り、二度と戻っては来なかった。
昔日の幻影を掻き消すかの如く、鋭利な刃を高々と振り上げたルキアーノに、ジノは至高の微笑を湛えて優しく囁いた。
「愛は、不滅だ。」
振り下ろされた兇器は、仰臥した儘の少年の米噛み脇に突き刺さった。
ルキアーノは、嘘だ。と叫びながら何度も刃を振り下ろし、ズタズタに切り裂かれた寝具から、夥しい羽毛が舞い散った。
苛立ちを露にした彼は硝子食器(デキャンタ)の載った卓を蹴倒して、整えられた文机を乱雑に取り散らかし、椅子を投げ付けて書架の硝子戸を割った。
夜更けの徒ならぬ騒音に、階下から急ぎ駆け付けた執事は、散乱した主人の寝所の片隅で、悲しみに暮れる客人の痛ましい姿に瞠目した。
網膜に映る余りな衝撃に心奪われ、若く猛々しい当主が自分の直ぐ真横を擦り抜けて出て行く様子を、唯々黙認するより他はなかった。
金髪の小さな客人が擦れ声を懸命に振り絞って呼び止めたが、ルキアーノの背中は忽ち極寒の闇に消えた。