03. 夜宴

誕生日を明日に控えた昼下がり、ルキアーノの翌午前の休暇が承認されたと知った女性達は、全員が腕組みをして、米噛みを引き攣らせた。
私用。と説明を面倒臭がった所為で、正当な申請を許可したナイト・オブ・ワンにまで非難が飛び火し、定例会議は大変な騒ぎとなった。
入念に準備を進めてきた彼女達は、一様に第十席の取得する職務免除を全休と同義に捉え、土壇場での中止を危惧した。
最早抗弁をする気配の無いルキアーノに代わり、唯一事情を知るジノが墓参と明かして、議場は如何にか落ち着きを取り戻したのだった。



帝都から母の眠る古城までは、往復のみで半日が費えたが、出生日には必ず花を手向けに訪れ、夭折した貴婦人を偲んだ。
何処にでも同伴を認めたルキアーノが、その日だけは逡巡し、無理をせがんだジノは、立ち会った静謐な祈りの時間に圧倒された。
穏やかな色を湛えて佇む姿に、声無き親子の対話を見て取り、以降は我が儘を厳に慎んだ。





就業後のラウンジに約束どおり主役が登場すると、待ち兼ねた様子の第98代皇帝が演説口調で祝杯を挙げ、誕生会は華々しく幕を開いた。
立食形式を採った室内には、円卓の騎士達とグラウサム・ヴァルキリエ隊が勢揃いし、更には要人も多数詰め掛けて、大変な盛況振り。
小規模な晩餐会並みの顔触れに、一瞬驚愕の色を浮かべたルキアーノは、密計が奏功して小躍りする二人の部下に、肩を竦めて見せた。
午後の紅茶を楽しむには充分過ぎる部屋であったが、収容人数は限界に近く、噎せ返る程の熱気の中で、贈られる祝辞に鄭重に応えた。
阿諛追従の波が一区切りしたのも束の間、同輩の女性騎士達に取り囲まれ、バースデー・ケーキにキャンドルを灯すと、手を引いて急かされた。
ドロテア渾身の作は、小さなシューを堆く積み上げたクロカンブッシュで、頂に控えめな一片の炎が揺らめいていた。

「卿の嗜好を密かに尋ねたら、思い出深い菓子だと教えて呉れたのだが……?」

急遽外遊先から戻った宰相と談話していたジノは、第四席の優しい視線に気付き、ふわりと微笑みを向けた。
或る伯爵家主催の夜会で出逢った二人が、舞踏に構わず親密な時間を過ごしていた折、小さな紳士を喜ばせたドルチェだった。

「ルキアーノ様、火を。」

先日と同じ様に携帯電話を掲げる部下に倣い、招待された多くの淑女達もまた、くちづける素振りを期待して、一斉に細い蝋燭を見詰めた。
促されて僅かに長身を屈めた彼は、掌でそっと炎を覆い隠すと、煙草を咥えて貰い火し、紫煙の燻る勢いで、静かに灯りを消した。
地団太を踏んで悔しがる女性達を尻目に、シューをひとつ摘み食いして、ドロテアに小声で謝意を伝え置き、悠然とその場を離れた。



喫煙の為にテラスへと出る姿を認めながらも、後追いを躊躇ったジノに、喧嘩かい?と第二皇子は囁き掛けた。
会話途中で気を逸らした不躾を陳謝し、仲違いとの誤解に首を左右に振ったが、微かな溜息を感付かれ、宰相の秀麗な面差しが曇った。
あの日以来、耳打ちされた言葉が頭を離れず、顔を合わせる度、心掛けも空しく些事に動転して、万事にぎこちなさを覚えた。
ちらと隣席を窺っては、普段どおりの横顔に安堵と焦燥を感じ、長く続いた煩悶に終止符が打たれる、今日という日を待望した。
未だ真意は測り兼ねたが、平然とした態度から凡そ揶揄と結論付け、誠実な口調も、本気と錯覚させる上での演技と思いながら、猶逡巡していた。

「如何やら、気まずい雰囲気の様だね。意識し過ぎて踏み込めない、といった感じかな?お互いに。」
「いえ、私は…………………………互い…に……?」

瞬いた瞳は、春のさわやかな蒼穹を想わせた。
初めて拝謁に臨んだ幼いジノを見初め、片恋に焦がれて十年の歳月が流れた。
人見知りの激しい子と耳にし、心を許される迄に掛かる時間と手間とを覚悟の上で、密やかに誘惑を仕掛けた。
激務の傍ら、敬遠していた煩わしい上流階級の催しに出向いては、煙る金髪の小公子の可憐さに嘆息した。
淡い感情を看過し続けた相手が、歳若い名家の長に一夜で心酔したと聞き、嫉妬に狂った。
ルキアーノ=ブラッドリーは、優れた武官を多く輩出してきた由緒正しい家柄に加え、皇統に連なる母系を持つ、社交界の寵児だった。
優雅でありながら総てに興醒めた体で、皇帝に払う敬意は傍目にも儀礼的と分かり、他の如何なる高位高官にも膝を折らなかった。
自分とは異質な虚無と定義した人物に、いとも容易くジノを横奪され、シュナイゼルは最早手段を選らずに陥落の策を講じた。
果たして、宰相の姦計を逸早く見抜いた者は、無関心と思われた仇敵に他ならず、ルキアーノは幾度と篭絡の試みを阻み、野獣の冷酷さで威嚇した。
一分の隙も見せない緻密な護りを、少年に対する誠意と解釈した皇子は、彼の激しい情熱に、儚い恋の終わりを感じた。

「君の異変を見過ごすと思うかい?憶えている筈だ。昔、彼は命懸けで友情を……」

指で形作ったピストルを米噛みに宛がって見せると、騎士は記憶を甦らせ、忽ち青褪めた。
宰相同様に謀略を企てた国賓の老紳士は、ジノを報酬とする賭けでルキアーノを挑発したが、続け様に三度引き金を引かれて、敢無く完敗に終わった。
彼に話して御覧。と優しく諭され、ナイト・オブ・スリーは慇懃な黙礼で深謝を示し、暫くの間、外の宵闇を静かに眺めていた。