01. name

翌日は朝から快晴で、冬の寒さも幾らか和らいだ。
俺はいつもより少し早めに家を出て、今日の『お願い』を聞くために校舎前でジノを待っていた。
十五分程すると、正門前の人混みの中からアーニャと登校する姿が確認できた。
どうも歩くペースが遅いと思って目を凝らすと、数歩進むごとに女生徒達からのプレゼントを受け取っていた。
びき。と米噛みの辺りが引き攣ったのを、勘付かれてしまったらしい。
アーニャは、その小さな手に突かれて屈んだジノの制服の襟をぐいっと掴むと、土煙を上げながら一直線に猛進してきた。
傍にいた数名の生徒達は素早く避難したが、俺は余りの勢いに唖然として咄嗟に身動きが取れなかった。
風圧に掻き上げられた前髪が滑り落ちると同時に、砂塵の中から現れたアーニャは、おはよう。と気怠そうな声で挨拶した。

「……お…は、よ…?」

腰を抜かしていると、妬きもち可愛い。と言い残して、トコトコと中等科の棟へ行ってしまった。
残された俺達は顔を見合わせて、ふっと笑みを零した。



先に立ち上がったジノの手を借りて体勢を立て直すと、俺は着衣の乱れを正した。

「先輩、ずっと外で待っていてくれたんですか?」
「いや、ほんの少しの間だ。」
「嘘。」
「本当だ。」

僅かに語気を強めて言うと、ジノは俺の頬に触れて、溜息を吐いた。

「こんなに冷たいのに?」
「ち、違うッ!これは別に身体が冷えたからじゃなくて、俺は元々体温が低いし、冬は外気との差が開いて余計に代謝が落ちる所為で……その…」

見え透いた言い訳を聞いている間もジノは手を離さず、伝わる温かさに言葉が途切れた。
窘める様に瞳を細められると、子供染みた態度がとても恥ずかしくなって、視線が足元に落ちた。
ジノが時折見せる大人っぽい仕草に、いつも成す術も無く狼狽してしまう。
俺の方が歳は一つ…………。

「誕生日、おめでとう。」

今日くらい片意地を張らずにいようと、決めていた。
一年に一度しか巡ってこない特別な記念日を、心から祝いたいと思った。
ジノは少し驚いた様子で窺っていたが、静かに手を離すと、ありがとう。と微笑んだ。



願い事を尋ねると、ジノは散々躊躇った挙句にようやく意を決して拳を握り締め、いつになく神妙な面持ちになった。
今度は此方が子供みたいだ。と見ていたら、思い掛けない言葉を発した。

「二人で居る時だけ、先輩のことを名前で呼んでも良いですか?」
「名前?」
「…………ダメ?」

しゅんと上目遣いに窺うジノの、超弩級の破壊力の前に俺は敢え無く撃沈した。
この不意打ちは効果的で、計算されていないだけに性質が悪く、むしろ反則技と言うべきだった。
衝撃の大きさに硬直していると、先輩?と小首を傾げ、俺は咄嗟に口元を覆って、理性が崩れ落ちそうになるのを堪えた。

「すまない。ちょっと驚いて……。名前で呼ぶと何か違うのか?」
「私にとっては全く違います。今日でやっと、先輩と同じ年に並ぶことが出来ました。少しの間だけ、対等の立場に居させてください。」
「たった一歳の差じゃないか?」
「……そうですね。だけど、私にはどう足掻いても越えられない大きな障碍で、また直ぐに追い抜かれるとしても、それまでは同じ目線で見て欲しいんです。」

配慮を欠いた交際を続けていたことに気付き、激しく後悔した。
自分よりもずっと大人びた外見をしていて、実際に社会人としての顔も持つジノを、俺はいつも年下というフィルター越しに見ていた。
家族の中で俺は兄の立場にいて、人懐こいジノが末っ子だと知って、自然にそうした扱いをしてきた。
『たった一歳の差』と言いつつ、それを意識し、また意識させていたのは他ならぬ俺自身で、プライドを傷付けられて当然だった。

「嫌?」
「いや……嫌、じゃ…ない。」

不安げに尋ねる声にはっとして答えたが、不明瞭な返事にきょとんと青い瞳を瞬かせるジノを見て、思わず噴出した。
年下扱いは自重するが、不測の無邪気な素振りに因るものは別解釈してもらいたい。
気を取り直して、構わない。と改めて許可すると、昨日と同じ様に嬉しそうな顔をした。
試しに呼んでみたいと言うので、俺は半歩離れて向き合った。
ジノは緊張しているのか、軽く咳払いをすると、では。と一言断った。

「…………ルルーシュ…」

柔らかな木漏れ日のような響きだった。
優しい微笑みに、胸の奥の淡い感情が細波立つのが分かった。

「……変な感じだ。」
「え?!発音、違う?」

何気ない呟きにショックを受けた顔をして、矢張り先輩呼びに戻すと言い出した。

「発音は間違っていない。たぶん、聞き慣れていない所為だろう。」
「本当?だったら、沢山練習しておきますね、先輩!」
「…………もう戻っているぞ?ついでに聞くが、敬語は止めないのか?」
「あ、ごめん。……えっと、ルルーシュ。急に全部は無理かも……一応、善処します。」

混乱気味のジノにこれ以上注文をつけると片言になりそうなので、俺は笑いを噛み殺してエールを送り、それぞれの教室へと向かった。





昼休みにリヴァルと食事を摂っていると、前触れも無く校内放送が流れ、生徒会役員は一も二も無く召集された。
生徒会室へ行くと、呼び出した張本人である会長が仁王立ちして待ち構えていた。
その姿には威風堂々としたものがあるのに、アーモンド形の瞳が良からぬ悪戯を思いついたと物語っていた。
シャーリーが言うには、今日がジノの誕生日だと聞いて、是非ともみんなで祝いたいのだそうだ。
結構な事だと思っていると、ふふふ。と会長が意味有り気な笑みを浮かべた。

「じゃ、ルルちゃんはケーキをお願い。ちゃんと『ジノ君お誕生日おめでとう』って入れるのよ?」
「は?」
「凝るのも良いけど、放課後に間に合わせて頂戴ね。」
「あの……」
「私達は部屋の飾り付けがあるから、後は任せたわ!」

決定事項みたいに告げられたが、勿論午後からも授業があるし、そもそも放課後までと言われても材料すら無い。
会長に抗議すると、チッチッチと人差し指を振った。

「午後からは、期末試験に向けて各教科自習になるのよね……。どうせ、居眠りするかサボって本を読むつもりなんでしょう?」
「…………」
「ルルちゃんのケーキ、食べたい人〜?」

呆れた事に主役以外の全員が挙手をし、会長は勝ち誇った様に腕組みをした。
ジノは会長と俺の顔を交互に見ては、困惑していた。

「…………で、どんなケーキが良いんだ?」

多数決に敗れて口を開くと、誰よりも喜んだのは会長で、当のジノは遠慮しきりだった。
制服の裾を引くアーニャに気付いて振り向くと、ジノはスイミツトウが大好き。と教えてくれた。

「桃か。時期は過ぎたが…さて。何処かに置いている店があったかな……?」
「……ここで買える…」

差し出された可愛らしい携帯電話を見ると、政庁周辺の地図が表示されていた。
礼を言って出掛けようとすると、一緒に行くと言って、また裾を掴まれた。
ジノに助けを求めようと目で訴えたが、肩を竦める様子から無駄だと知った。
諦めて同行を認めると、アーニャは僅かに口元を綻ばせた。





放課後は、賑やかで楽しい誕生会になった。
頑張ったと胸を張るシャーリーの言うとおり、生徒会室は子供部屋のように色とりどりのテープやリボンで飾り付けられていた。
ジノはみんなからバースデー・カードを受け取ると、一人一人に笑顔を向けて丁寧に感謝を表した。
アーニャのおかげで完成したケーキも大好評で、名入れには苦労したと話すと、会長からお褒めの言葉を頂戴した。
口数は矢張り少なかったが、アーニャはなかなか手際が良く、今度はガトーショコラを作る約束を交わした。
―――歓談する声に紛れて、隣から不意に名前を呼ばれた。

「ケーキ、とても美味しいです。ありがとう。」

ジノはきちんと礼儀作法が身に付いていて、いつも感謝の言葉を忘れなかった。
普段どおりなのに、ルルーシュ。と小さな声で呼ばれただけで、それが特別なものに感じられた。
朝とは違う艶のある深い響きを、俺はもっともっと聞きたいと願った。

「ところで、明日の願い事はどうするんだ?」

昨日約束した時は気付かなかったが、明日は土曜で学校は休みだ。

「実は、今夜からまた本国に戻ることになっているんです。明後日の日曜には帰ってくると思いますが…。」

早速休回かと少し残念に思っていたら、それまで直接会うばかりだったジノが、明日の夜に電話しても良いですか?と尋ねてきた。
願い事を伝えるのだと思って了解し、俺は初めて掛かるベルの音を密かに心待ちにした。