02. call

政庁に戻ると本国からの通信を受け取り、ヴァルトシュタイン卿と帰国後の詳細を打ち合わせた。
エリア11では総督補佐に任じられたスザクのサポートに当たっていたが、本職は皇帝陛下のナイト・オブ・スリー。
気儘な学生生活を許されていても、勅命が下れば世界中何処からでも馳せ参じて、外敵を撃破しなくてはならない身だ。
渡されていた計画書に目を通し終えると署名し、軽い食事を済ませて、パイロット・スーツに着替えた。



時刻は午後八時。
コックピットに腰を下ろして起動キーを差し込むと、計器に次々と明かりが灯り、トリスタンが静かに目醒めた。
グリップに手を掛け、装着したインターカムから聞こえるセシル女史のオペレーティングに合わせて、慎重に発艦態勢を整える。
表示されたデータの数値は総て正常で、飛び立つ寸前の緊張感に胸が高鳴り、開かれたゲートの先を見据えた。

『ジノ……。』

離陸の許可を待っていると声がして、左端の画面が切り替わった。
管制室にいるセシル女史とロイド博士、そして何時の間に現れたのか、スザクの姿が映し出された。
彼の軍位が変わっても三人は仲が良く、チームとしても優秀だった。

『今日が君の誕生日だと知っていたのに、きちんと顔を合わせる時間が取れなくて、本当にごめん。』
「憶えていてくれたんだ?」
『…………勿論だよ。』
「ありがとう、スザク。」

私の誕生日は何か特別な記念日という訳でもない、一年の内のごく普通の日だ。
それを忘れずにいて貰えただけで、とても嬉しい。
含羞むスザクに、此方に戻ったら知らせると約束した。

『ヴァインベルグ卿、離陸準備が整いました。到着予定時刻は11月27日14時15分です。』
「了解。」
『ジノ君、素敵な夜空の旅を。』
『どうぞ、お気をつけて。』

Happy Birthday,Gino.というスザクからのメッセージを最後に、映像は途絶えた。
出力を調整して操縦桿を握り、私は女史の指示に耳を傾けた。

『トリスタン、発艦!』

轟音と共に滑走路を抜け出すと一気に加速して、宙に浮いた機体は重力に抗うように高度を上げた。





私は誕生日の昼中まで時間を遡り、澄み切った青空の下に降り立った。
ナイト・オブ・ワンと面会した後、執務室の机上に積まれた書類一つ一つに裁決を下していると、ノックの音がした。
顔を覗かせたヴァルキリエ隊の二人から午後の紅茶に誘われ、手を休めて一緒に専用のラウンジへと向かった。
トゥエルヴのモニカが始めた喫茶の時間はいつしかラウンズの習慣になり、今日も本国に残っている騎士達が集まっていた。
席には、エルンスト卿の自信作というバースデー・ケーキが用意されていて、驚く私にみんなは、おめでとう。と優しい微笑みを浮かべた。
部屋まで呼びに来てくれた二人の上司は不在だったが、彼女達の口振りから、彼が今年もこの日を忘れていなかったのだと分かった。
私は同僚達と楽しいひと時を過ごした後、再び事務処理に取り掛かった。
山積みされた書類を捌き終えると、時差に適応するために仮眠室のベッドに潜り込んだ。





本宅に着くと、昨年のクリスマス休暇に戻れなかったこともあって、家族はとても喜んだ。
晩餐後にまたもケーキが登場して苦笑したが、料理する機会の稀な母がパティシエにあれこれ習ったらしく、私が口にするのを少女の様にじっと窺った。
切り分けられたクグロフはチョコレートの甘い香りがして、何処か懐かしい味がした。
美味しい。と言うと嬉しそうな顔をし、天からの加護を願って私の額にキスをした。
母の背を追い越したのは随分昔の事だったが、私は何時までも彼女の子供だった。
ラウンズになった息子を誇りに思う反面、戦地に赴く私の生死を絶えず気に掛けているのを知っていた。
もっと。と強請ると、呆れた風に手付かずの自分のケーキを差し出され、その夜の母のくちづけは一度きりに終わった。





翌朝七時に起床してジョギングに出た後、普段どおりのメニューで身体を慣らした。
朝食を済ませると、トリスタンの調整に立ち会う為に再び制服に袖を通した。
メンテナンスは正午過ぎに終わり、昨日は出来なかった雑務を片付ける為に執務室に戻ると、包装された小箱が机の上に無造作に置かれていた。
リボンを解いて開けると、銀色に輝くペーパーナイフが姿を現した。
暫く前に、それまで愛用していた硝子製のナイフを誤って踏みつけてしまい、気に入る物となかなか出会えず他で代用していた。
先日、封書を開けようとして刃先で指を切り、好い加減に妥協しなければと考えていた。
贈られたナイフは柄の部分に優美な装飾が施され、流線型の刃の滑らかさは全く申し分なかった。
添えられていたカードには、見慣れた右上がりの細い文字で『To Dearest Kitty.』とだけ書かれていた。
私はその余白に謝辞を記し、ナイト・オブ・テンの部屋の扉にそっと挿んだ。





懐中時計の針が午後一時を指し、私は約束を違わず先輩の番号をダイヤルした。
遠くに聞こえる覚束無いコール音が数度続いて、心待ちにしていた声がようやく耳元に届いた。

『……ジノ?』
「こんばんは。お時間、大丈夫ですか?」
『構わない。こちらが指定した時間通りだ。お前の方こそ、仕事は良いのか?』

離れた場所から、疲れていないのか?と気遣う先輩はいつもと変わらず、その優しさに癒される。
周囲を注意深く観察する為に一見するとクールな印象だが、基本的には女性に親切で仲間を大切にした。

「ありがとう。先輩のそういう優しいところ、大好きです。」
『…………』

生徒会に所属している所為でイレギュラーに遭遇する確率が高く、その度に表情がくるくる変わるのが、可愛くて仕方なかった。
今も電話の向こうでどんな顔をしているのかと思うと、自然に笑みが零れた。
気持ちを言葉にしても本気にされなかったが、いつも動揺を隠し切れずに困惑の眼差しを私に向けた。
永らく沈黙が続き、先輩?と声を掛けてようやく応答した。

『また先輩呼びに戻っているぞ?』
「名前で呼ぶのは昨日のお願いだったので、今日からはまた元通りです。」

やや強い語調を訝って説明すれば、プレゼントを返せと言った憶えはない。と拗ねるような言葉に、今度はこちらが黙った。
考えた結果、二人の思惑が合致したと見做し、以後も名前で呼ばせてもらう事にした。
ただし、“先輩”という言葉にすっかり慣れてしまったので混合になると予め断ると、受話器からくすくす笑う声が聞こえた。

『それで、今日は何をお願いする気だ?』
「先輩が電話に出てくれたので、今日の願い事はもう叶いました。」
『……よく分からないが?』
「今、先輩の時間を少しだけ頂いています。声が聞けて良かった。」
『これくらいの事で満足なのか?』
「“これくらい”ではありません!大切な人の時間を独り占め出来るなんて、至上の喜びです。」
『……それは、何よりだ。』

短い間を挟み、先輩は少し困った風に、消え入りそうな声で言った。
幸か不幸か、私の好意は恋愛感情のそれと思われてないらしく、おかげで電話を切られずに済んだが複雑な心境だ。

「戦場を駆けずり回る生活をしている所為か、誰かと同じ時間を共有できるのは、すごく倖せな事だと思うんです。」
『…………………そうか。』

明るく楽しそうな校風が気に入ったのは確かだが、学園に通いたかったのは、実はそうした願望からだった。
我々を監督するナイト・オブ・ワンの計らいで二重生活が認められ、私は一学生となり、先輩と出会った。

「軍人特有の感覚かもしれませんが……。すみません、ちょっと理解しにくい話でしたね。」
『お前からの電話なら、いつでも歓迎する。』
「え?」
『今日のプレゼントも返品しなくて結構だ。気が向いたら、遠慮せずに掛けてこい。』

思わぬ許しに驚いていると、無理にとは言わないが…。と恥ずかしげな声で撤回されそうになり、慌てて感謝の言葉を繰り返すと先輩は噴出した。



それから私達は互いに一日の様子を尋ね、時差の関係で同じ日にケーキを三度食べた話をすると、また笑った。

『明日の願い事はもう決まったのか?』
「いえ、まだです。」
『では、最後にそれを聞いておこう。』
「え?!ちょっと待って!どうしよう……何も考えてなかった。」

電話越しに先輩がじっと耳を澄ませているのが分かり、私は呪文の様にぐるぐると願い事を考えた。
迷った結果、少し過ぎた我が儘なので断られる覚悟をして、逢いたい。と伝えた。

『明日には戻ってくるのか?午後なら都合がつくが……』
「え…本当に?!先輩、無理しなくても良いんですよ?」

あっさり返事をされて拍子抜けしたが、仲間内では滅多に嫌と言わない先輩の事が心配になった。

『別に無理などしていない。駄目な時はちゃんと言う。』
「是非、そうしてください。」

手綱をしっかり握っておいてくれないと、我が儘に歯止めが利かなくなりそうになる。
折角なので二人で出掛けることにして、迎えに行く時間を打ち合わせると、受話器を置く頃合だった。

『では、また明日。』
「おやすみなさい。」
『………おやすみ。』

私は電話を切ると、冬空の雲間から射す光の暖かさに瞳を閉じ、しばらくの間、会話の余韻に浸った。