モニカ=クルシェフスキーは静かに紅茶茶碗を置き、ゆっくりと上品な咀嚼で食事を楽しむ少年を眺めた。
徹底された作法に感心しつつ、小さな頤の動きひとつ迄もが可憐で、二人の会話に聞き耳を立てる素振りで見惚れた。
右隣に腰掛けた年上の幼馴染は、そっと重心を傾け、穏やかな微笑みを相槌に返しながら、稚い子の話に聞き入った。
絵画的な美しい朝の風景を、騎士達は永らく記憶に留め、忙殺的な職務の合間に、時折瞼を閉じて追想した。
慌ただしく駆け寄る靴底が廊下に響き、密やかな寛ぎの時間を掻き乱された十番目の騎士は、聊か辟易した様子で眉を顰めた。
見遣った執務室の扉の前で足音が止み、躊躇うように一呼吸挟んで、入り口を等間隔に四度鳴らした。
部屋の主が素気無い返事で遇うと、二つ同時に大きな溜息を零す気配がし、円卓の末席は相手を悟って頬を緩めた。
リーライナ=ヴェルガモンとマリーカ=ソレイシィは、今朝もまた、憧れの上官が既に身支度を整えた後と落胆しつつ、控えめに蝶番を軋らせた。
「おはようございます、ルキアーノ様。」
「御目覚めは如何ですか?」
小鳥の囀りを想わす明るい声で、新たな一日を告げたものの、扉を潜った直後に不可思議な光景を目にし、花の顔を見合わせた。
何時もならば、階下のカフェテリアか余所で朝食を済ませる筈が、窓辺の応接卓には、時間を掛けたと分かる手作りの品々。
橙の猫毛を手櫛で梳いただけの上司は、精悍な顔立ちが一層男性的な印象を与え、頬染めた少女達は直視を憚った。
上着を脱いで寛ぐ彼の差し向かいに、優しく微笑むナイト・オブ・トゥエルヴの姿を認め、早い時間の訪問を訝しんだ。
彩り鮮やかな朝餉をモニカの腕前と想像し、暗黙の軍律ともいえる淑女同盟を順守してきた二人は、当然ながら焦燥を覚えた。
彼女の片恋をそっと見届ける心積もりも、後塵を拝したと了解し、仄かな想いを秘めた胸に切なさの波紋を広げた。
「何時まで其処に突っ立っている気だ?」
艶やかな低音が呆れ口調で促すと、部下達は躊躇いがちにモニカ=クルシェフスキーを一瞥した。
二人の戸惑いを感じ取った彼女は、狼狽して誤解を解こうと試みたが、怯えた様子で騎士の背に身を寄せる少年に気付き、言い淀んだ。
悲嘆を表すように静々と歩み寄ったリーライナとマリーカは、上司の逞しい左腕の端から可憐な姿を垣間見るなり、忽ち釘付けになった。
「……まさか、ルキアーノ様の…?」
「隠し…子……?!」
豊かな想像力に、十二番目の騎士はクスと噴き出し、ルキアーノ=ブラッドリーは米噛みを引き攣らせた。
此方を窺いつつ、何やら密々話を展開し始めた二人に舌打ちしたが、隠し子って?と幼馴染に袖を引かれ、中指で眉間を押さえた。
「親子にしては、随分と歳が近い気がするけれど……一体何時頃の…?」
「恐らく、ルキアーノ様も若気の至りで……」
「恋の御相手は、麗しい深窓の令嬢かしら?」
「だとしたら、社交界を揺るがす一大スキャンダルです!」
「でも、きっと…素敵な淑女(レディ)に違いないわ。」
腰細の美貌を思い描いて、嘆息を漏らした。
度々噂される華麗な女性遍歴に微かな嫉妬を感じたが、稚い子の清純さに掻き消された。
「心做しか、御顔立ちがヴァインベルグ卿に似ている気が……」
「そう言われれば、確かに。」
ふんわり白い頬や空色に煌めく瞳に、第三席の面影を感じた。
耳打ちに小首を傾げる仕草や、吸血鬼の異名で知られるナイト・オブ・テンを呼び捨てる大胆さもまた、歳若い騎士を彷彿とさせた。
漸う問題の本質へと近付いた部下達に、顛末を明かす頃合いと承知したルキアーノだったが、動揺を予想して密かに溜息を吐いた。
真相を告げられた二人は驚愕したものの、上官の潔白にほっと胸を撫で下ろし、可憐な小公子に微笑みを向けた。
幼いジノ=ヴァインベルグは、少女達の快活な雰囲気に幾分気圧され、ルキアーノの背中越しに仄かな含羞を湛えた。
大きな手が眩い黄金色の後ろ髪を撫でると、上目遣いに不安を滲ませたが、ぎゅっと掴んだ中衣の裾をそろり離した。
ナイト・オブ・トゥエルヴを含めた三人は、最早繊細な少年の虜となり、慎ましい朝の食卓は一挙一動に色めいた。
十二番目の騎士は幼馴染の人見知りを気に掛け、彼女達をそっと戒めて、華やかな談笑に耳を傾けた。
円卓の騎士達を引率の上、来訪を。と願われたビスマルク=ヴァルトシュタインは、指定された執務室の扉の前で、思い掛けない人物と鉢合わせた。
長身の科学者が部下に真鍮の把手を恭しく譲る場面であったが、帝国最強の一群を振り返ると、彼は僥倖とばかりに満面の笑みを浮かべた。
最後尾に控えた七番目の騎士から質され、銀髪の技術主任者は、緊張感を欠くおっとりとした口調で、早朝の不穏な召喚を明かした。
「ブラッドリー卿自ら御連絡を?」
「ええ。ロイドさんの話だと、緊急回線を御使いになられたようで……」
「人殺しの天才なら、受話器越しに相手の心臓を貫けるかも知れないねぇ…あの冷酷な声だけで。」
短い遣り取りを思い出し、戯けて身震いするロイド=アスプルンドに、居合わせた騎士達は銘々怪訝な表情を浮かべた。
第七席専属の優秀な技師が、本務で何某かの不手際を起こしたものと想像したが、彼等の参集との関係性は容易に導き出せなかった。
「セシル君…この状況下で先頭を切れる人物は、ナイト・オブ・ワンを措いて他には居ないと思わない?」
「ロイドさん!!」
「僕の予想では、ドアを開けた瞬間に兇器で襲われる可能性が八割……」
あながち冗談と聞き流せない言葉に苦笑し、ビスマルクは優雅に扉を二度響かせた。
筆頭に続いて足を踏み入れた円卓の騎士達は、大方想定通りに喫驚して立ち止まり、遅蒔きながら風紀の乱れについて苦言を呈した。
またもや有らぬ嫌疑を掛けられ、ルキアーノ=ブラッドリーは聊か気分を害した様子で、眉間に皺寄せた。
見兼ねたナイト・オブ・トゥエルヴが事の次第を代弁すると、彼等は災禍に見舞われた同僚を大層不憫がった。
飽和状態となった部屋で、見知らぬ大人達の視線の直中に置かれた少年は、すっかり萎縮して、直ぐ傍の華奢で大きな手を強く握り締めた。
興味深いねぇ。と天才科学者が身を乗り出すと、抱き締めるように細腕を幼馴染の帯革に回し、小さな軀を隠した。
可愛らしい仕草に女性達はざわめき、ナイト・オブ・ナインは、少年を独占する格好となった隣席の騎士に、卿だけズルいぞ!!と大袈裟に拗ねる素振り。
ドロテア=エルンストがやわらかな笑みを湛えると、閉口する第十席の背後から恐々顔を覗かせた幼い紳士は頬を染め、一層彼女達を惹き付けた。
六番目の騎士は透かさず携帯電話を手にしたが、微かに潤んだ空色の瞳に気付き、激写の瞬間を如何にか遣り過ごした。
少年を取り囲む女性陣を遠巻きに眺めながら、平素と変わらぬ淡白な帝国の吸血鬼が、如何にして幼子の警戒心を解いたのかと、枢木スザクは唯々小首を傾げ
た。