話を聞き終えたみんなは少しほっとして、ロイド伯爵がそう言うのなら、大丈夫でしょ。と言うミレイに同調してくれた。
だが、姿が映らないのはキャンディの侵食が続行中だという証拠で、私は万が一にも自制心を失った場合を憂慮して、室内作業を申し出た。
生き血を求めて暴れるナイト・オブ・スリーを止められる人物は、残念ながら滅多にいないと思ったからだ。

「だったら、ルルを手伝ってあげて。」
「先輩を?」
「ルルちゃんは今日一日お菓子作りに専念するの。生徒会長命令よ!」

片目を瞬かせるミレイと優しい表情のシャーリー先輩に向かって、はいはい。と溜息混じりの返事。
部屋に来た時から、一人だけ制服姿のままなのを不思議に思ったが、どうやら事情があるらしい。

「仮装しない人はお菓子を渡せば悪戯されないルールなんだけど、去年は大変だったんだぜ?みんながルルーシュに殺到して、俺達まで揉みくちゃにされて さぁ。」
「そうそう!ルルのお菓子はあっという間に無くなって、必死で逃げたんだけど途中で転んじゃって……怪我、したんだよね……」
「えぇ!?本当ですか?」
「ちょっとした擦り傷だ。それに今年は事前に希望者数を把握できたから問題ない。全校生徒の分を用意した。」
「でも、外に出ちゃダメよ!!あれ位で済んだから良かったけど、もう少しで大事故になるところだったんだから!」

驚いて尋ねると自信満々に胸を張ったものの、ミレイの言葉に面目を失って眉宇を寄せた。
詮無い事ではあったが、もう一年早く出会っていれば、そんな危険な目には遭わせなかったのにと悔やんだ。
結局、先輩が準備したクッキーは他のメンバーが代わりに手渡す運びとなったそうで、今はロロ君が中等科の分を持って行っている。
先輩の扮装を楽しみにしていたアーニャも加勢を引き受け、三人と一緒に配達に発った。





生徒会室へは外部からの訪問者も多く、隣には厨房と言って差し支えないほど充実した設備の給湯室が設けられていた。
私はそこで依頼どおり先輩の手助けをするつもりでいたが、最後の焼き菓子は既にオーブンの中だった。
役に立てずにがっかりしていると、先輩は、話し相手で十分だ。と言って喫茶の準備を始めた。
記憶違いでなければ、こうして二人きりになれたのは初めてで、私は少なからず緊張しつつも、美しい立ち姿に見惚れていた。
暫くすると、先輩はダージリンではなく、爽やかな香りのハーブティーを私の手元に置いた。
常と異なる趣向に首を傾げて見せると、レモンタイムだと教えてくれた。

「喉が渇くと言っていただろう?空気も乾燥しているし、痛めると風邪を引くぞ。」

私はその細やかな心遣いに射抜かれて、広がる甘い痛みをどうにか遣り過ごすと、ありがとう。と伝えた。
思い掛けず出た掠れ声に驚いたのか、先輩は一瞬きょとんとしたが、俄かに頬を染めると背を向けてしまった。



先輩は照れ隠しのようにキッチンに戻ると、水と大量の白い粉末をミルクパンに入れて火に掛けた。
私はまだ仕事が残っていたのかと慌てて立ち上がろうとしたが、ちらりと振り返って、個人的な嗜好品だからと押し止められた。
窺っていると、部屋には何処か懐かしい香りが漂ってきた。

「プディング?」
「御名答。」

先輩は、冷ましたカラメルソースを一つ一つ丁寧にココットに流すと、次の作業へと移った。
手際良く調理する後姿を眺めていたが、再度助力を申し出ると、手を休めて私にも出来そうな役目を考えてくれた。
先輩は二つのボウルを取り出すと、小さい方に白い液体と砂糖を投入し、氷を入れた大きい方の上に載せると、泡立て器で攪拌を命じた。
私はパティシエがクレーム・シャンティを作る姿を思い出しながら掻き混ぜたが、どうにも安定が悪く、煩い音の割にはイメージどおりにいかなかった。
悪戦苦闘していると先輩のくすくす笑う声が聞こえて、私は降参とばかりに盛大な溜息を吐いた。

「帝国最強の騎士も形無しだな。」
「先輩、涙を浮かべて笑うなんて酷いです。」

わざと拗ねるとますます笑って、ただそれだけで幸福だと感じた。
手本を見せる為に隣に座った先輩へボウルを渡すと、ついでにこれも。と言って小瓶を傾けた。
慣れた手つきで泡立てると、濃厚なバニラが鼻腔をくすぐり、思わずこくと喉が鳴った。
俯いていた先輩が、驚いた様に紫の瞳を瞬かせたので、私は口元を覆って肩を竦めた。
何か考えていた風だったが、十分待て。と言い残してボウルを手に行ってしまった。
どうやら後は自分で片付けるつもりらしく、私は残念に思ったが、お茶を飲みながら大人しく待つことにした。



料理を終えて戻ってきた先輩は、私の横の椅子を引いて向かい合わせにすると、静かに腰を下ろした。
此方も居住まいを正して対座の形を取ると、短い沈黙の後に、花びらの様な唇が開き、躊躇いがちに私の名を呼んだ。

「その……少しだけなら、我慢する。…い……痛く、しない と…約束しろ。」

言いながら、震える指でシャツのボタンを外し始め、私は狼狽した。
一体何事だ?
先輩の伏せた漆黒の睫毛が細かく揺れ、垣間見える眩い素肌を前にして、私は込み上げる激しい衝動を全力で抑止。
この部屋には二人きりで、つまり、今の言動を誘惑と解釈しても間違いないのだろうか?
解せない…………。
据え膳喰わぬは男の恥と言うが、私は敢えて不名誉を選んだ。

「あの、先輩……?」
「早くしろ!」
「急にそんな事を言われても無理です。」
「何?!」
「折角ですが、お受け出来ません。」

やる気を削がれて柳眉を寄せる仕草さえ私を乱すのに、年相応の健全な男子の心を、無邪気に悩ませないで欲しい。
嘆息すると先輩は意を汲んでくれたが、下顎を引いた顔がとても切なげで、私は理性の手綱を放さぬように、ごめんなさい。と囁いた。
深い紫色の瞳がゆっくりと私を捕らえると、小さくひとつ、頷いた。

「本当に良いのか?」
「そんなに余裕が無さそうに見えますか?」

即答されて流石に参ったが、焦がれているのは事実でも覚悟は本物。
私達は恋人同士ではなく、友達と呼ぶにも距離があり、生徒会という枠の中の単純な上下関係に収まっているだけで、一線を越えるには希薄な間柄。
後戻り出来なくなると分かっているからこその判断なのだが、先輩は如何いうつもりなのだろう。
秀麗な面立ちを窺うと、私の疑問に心配そうな声で答えてくれた。

「でもお前、腹が減っているんだろう?」
「は?」
「朝から何も食べてないって……」
「?」
「さっき喉を鳴らしたから、てっきり血が欲しいのかと思ったが……違うのか?」
「…………………………」

そう言って可愛らしく小首を傾げているが、私は羞恥を通り越して絶句すると同時に、自分の選択を褒めてやりたいと心から思った。
豊富な語彙力を会話に活用しないと、悪い狼に喰べられてしまいますよ?先輩。
今もまた、沈黙を遠慮と勘違いして白い首筋を晒す無防備さに、本当に罪作りな人だと苦笑した。

「大丈夫です。空腹感はありません。」
「成長期なんだから、きちんと栄養を取れ!」
「先輩から怖がられるくらいなら、餓死した方が余程ましです。刺されるのって物凄く痛そうですし、さっき震えていたじゃないですか。」
「痛いのは最初だけで、献血と同じだ!」
「吸血鬼に相互扶助を説いてもダメです。」

正論なのに噛み合わない理由を教えたら、きっと私以上に取り乱して大変だろうと想像し、怒られ損でも構わないと思った。
吸血鬼は案外ストイックだなと感心したが、こんな歯をしていたら多少なりとも興味が湧くのが真情。
だが今一つ方法が分からないし、映画で見た限りだと、相手は恐怖して絶叫するが、実際痛みの程はどうなのだろう?
誰か教授してくれないものかと、冗談めいた考えを弄んでいたが、ふと思い当たり、失礼して携帯電話のリダイヤルを押した。



もう眠っている頃だと思ったが、今度も矢張り四度目のコールで繋がり、今朝と変わらない声が返ってきた。
私が吸血の方法を尋ねると、ルキアーノはそうした欲求が現れたのかと驚いたが、訳を話すと感興をそそられた様子。
奇特な人間もいたものだ。と鼻先で笑った後、相手が処女か幼児であれば、その血は甘美と言った。
成程。

「噛まれた人間の苦痛が、どれくらいか分かるか?」
『催淫効果で痛覚が鈍る筈だ。夢心地のうちに終わる。』
「そうか。やはり頚動脈が一般的なのか?」
『抵抗された場合に有効だ。心配なら背後から両手を掴んで、ゆっくり噛め。がっつくと噴出に追いつけず、咽せる。』
「ルキ……」
『何だ?』

“何でそんなに詳しいの?”とか“二つ名ではなく、本当に吸血鬼なんじゃないのか?”といった疑念は一旦脇に置いて、再確認。
優秀な頭脳を持つ人物は、その豊富な語彙力を会話に活かさなければ、周囲に多大な誤解を与える場合もあると考慮すべきだ。
ルキアーノと話していると、何故か背徳的な雰囲気が漂う。
忠告しても、たぶん舌打ちして面倒臭そうな顔で皮肉を返されるだろうから、言わないけれど。
それでも、寝静まる時間に掛けた電話の相手をして呉れるほど親切で博識な彼が、私は昔から大好きだった。

「ありがとう。御蔭で何とかなりそうだ。」
『それは結構。薬効が切れる頃合だがな。』
「了解。」

私がおやすみを告げると、世話の焼ける仔猫(キティ)だ。と長嘆してルキアーノは電話を切った。