03. 螺旋

午前の講義を終えて教室を出ると、背後から名門ヴァインベルグ家の次子に声を掛けられた。
振り返れば、二つ歳上の快活な級友は直ぐに傍まで追い着いて、時計を窺う仕草で左腕を瞥見し、莞爾として午餐の同席を申し込んだ。
滅多と時間通りに昼餉を摂らない彼は躊躇したが、過日の謝礼を理由に願われれば、縹(はなだ)の瞳が可憐な末弟を思い出させた。



学生食堂(カフェテリア)の窓際に腰を落ち着けると、名家の子息は、仕立て服の隠しから封蝋の施された手紙を取り出した。

「弟から君へ。」

寄越された薄文様の封に愛用する懐刀(マニキュア・ナイフ)を鮮やかに滑らせ、透かし入りの便箋に認められた丁寧な文字を、ゆっくりと辿った。
其処には先日の謝辞と、手当の為に引き裂かれた手巾(ハンカチ)を心苦しく思う様が綴られ、今ひと度の邂逅を願う言葉で締め括られていた。
稚い面影を偲ばせる二番目の兄は、真向かいの俯けた睫毛から覗く高雅な菫が、書簡箋の末尾に記された署名に達する迄を静かに見届けた。

「逢って遣って呉れないか…?もう一度、あの子に。」

言うなり更に別な一通を差し出され、寸分違わぬ手法で封切れば、果たして、ヴァインベルグ家が主催する音楽会への正式な招待状だった。
生憎と其の日は然る紳士倶楽部の会合と重なり、彼は頬杖を突いて開封済みの二通を暫く眺めた。
やがて上着の胸隠しから徐に万年筆を抜き取り、書状の返信欄に、予め遅刻を謝す文言付きで出席の旨を記せば、心許無い様子で回答待ちしていた級友は、人知 れず安堵の胸を撫で下ろした。
幼文字が並ぶ親書の余白にも同様の内容を認め、呉々猫に深入りせぬ様忠告を書き加えて自署し、思わず噴き出した使者に此れ等を託けた。



何れかの招待を辞退するのが妥当と思われたが、ヴァインベルグ本家とは先約を反故して参じる程懇意な間柄に無く、しかし、此の機を逃せば幼い末子との再会 は先々迄容易ならぬと了解していた。
月光に輝く艶やかな項髪、清澄な水面を映した瞳、肌理細かな雪肌に滲んだ深紅の甘露、変声前の中音域(アルト)、梢をざわめかす夜風の香り。
昨晩共寝した相手の素性は最早忘却の彼方であったが、麗しい小公子との親密な逢瀬は、数日を経て猶鮮やかに記憶していた。
ジノ…。
淡々とした挙措からは誰も看破し得なかったものの、甘い響きを密かに反芻すれば、忽ち清楚な面影が甦り、孤高の学士の胸中を細波立たせた。
特段の感情を抱かずに生きてきた歴史が彼の矜持と為り代わって久しく、年端も行かぬ子から楔を打ち込まれた事実に、少なからず狼狽した。
気紛れな一時とし乍らも、心に仄かな燈火を恵与した稚い存在が影を落とし、焦燥にも似た此の不明瞭な意識の正体を解明するには、再会と謂う手立てに頼るよ り他無かった。





約束の日、ルキアーノは予定通りその会員制倶楽部のサロンへと赴いた。
表向きは、作家としても著名な侯爵が主催する社交の集いであったが、実際には倒錯的快楽を追及する魔の宴であった。
此処では凡そ想像に能う限りの悪徳行為が憚らず繰り広げられ、世間に名士と評される貴顕紳士達が、挙って大罪の愉悦に溺れていた。
彼もまた生命が終息する迄の過程を観察すべく、少なからず小動物を殺傷したが、進んで其れを人間で試験しようとは思わなかった。
死と隣り合わせの野獣達こそ、本能の儘に生を謳歌し、また肉体の衰弱を敏感に察しては、物言わぬ乍ら恐怖と諦観を如実に見て取れた。
人間に格上げした処で大差無いとの判断で、加盟した後も見世物の暴虐に特段新たな発見は得られず、専ら禁書を読み漁る為に足を運んだ。
彼が会員の資格を得たのは、侯爵の熱心な勧誘故であったが、通常必要とされる三名の推薦を免除されて入会した当初に、一波瀾生じた。
或る男爵が、集いの大義たる不道徳な営みに興醒めな彼を揶揄した処、袋綴じを裂く為握っていた紙切り刀(ペーパー・ナイフ)で、瞼を突き刺されたのであ る。
光を喪った眼窩を両手で庇い、苦痛に絶叫して転げ廻る男を捨て置き、橙髪の紳士は寝椅子(カウチ)で足を組み、気怠げに読み止の頁を捲った。
会場は騒然となり、座を仕切る侯爵が事態の収拾を図って苦言を呈すれば、不当な辱めの代償に、焼き鏝宛ら暖炉の火掻きを押し当てた。
悲鳴と血痕、異臭を放つ焼き焦げた肉體を前に、歳若い名門の主が口角を吊って嗜虐性の片鱗なりと垣間見せれば、同好の士と見做された。
室内犬の様に這い蹲って悶絶する二人へは、最早一瞥も呉れず、香り立つ珈琲茶碗をそろり傾け、静やかな耽読の時間に帰した。
人々は遭遇した惨劇が何気無い毎日の模倣と直ちに悟り、此の優雅な才頴の本体が、背徳の観念を欠いた純正な無と認知し、慄いた。
不穏な事件の後、水晶体を串刺しにされた男爵は、義眼を嵌める身となって会を辞し、侯爵は畏怖しつつも、一層此の名家の長に執心した。
蛇口から流れ続ける水にも似た探究心だけが、今日まで在籍し続けた所以で在り乍ら、彼は会得した知識の尾を何時も容易に手放し、其れは瞬く間に排水口に呑 まれた。





退屈極まりない宴を途中で抜け、総身に染み付いた麝香を払う為、一旦帰邸した。
手短な湯浴みを済ませて真新しい夜会服を着込み、蓋開いた銀無垢の懐中時計を瞥見すると、足早に乗り込んだ黒塗りをヴァインベルグ本邸へと走らせた。





瀟洒な屋敷の車寄せにコツリ爪先から降り立てば、優雅な調べに早くも感嘆する人々の気配を感じた。
案内された大広間(ホール)に足を踏み入れるや、名門の歳若い主の登場に微かなざわめきが起き、前列で熱心に傾聴していた小さな頭が振り返った。
過日強く惹かれた蒼穹の瞳は、並み居る招待客達を潜り抜けて彼を捉え、驚きと歓喜の綯交ぜた感情に淡く頬染めた。
ゆっくりとした一拍の瞬きで稚い視線を受け止め、顎(あぎと)を逸らす仕草で管弦楽団(オーケストラ)の方へ誘導すると、忽ち意図を読み取り居住まいを正 した。
見詰め合った時間は僅か数秒乍ら、ルキアーノの軀は恰も猛毒に侵された様に甘く痺れ、総じて興醒めな心の波打ち際を動揺が浚った。



やがて美しい音色の余韻が途絶えて幕間となり、真摯に耳を傾けていた観客達も、小休止と謂いつつ銘々席を離れ、談笑の花を咲かせた。
幼い名家の末子は人波を縫って駆け寄り、小さな両腕を一杯に伸ばし、橙髪の端整な客人に抱きついた。
少年の思い掛けない大胆な行動に少しくよろめけば、周囲で歓談していた招待客達は、相手が社交界随一の気難し屋と知って青褪めた。
次兄は不穏などよめきに気付くなり喫驚し、直ぐ様弟に礼節を諭そうと近付いたが、先方より制する仕草で軽く肩を竦められ、微苦笑した。
柔らかな金髪を撫ぜ、Hello,Kitty.と囁いたなら、きょとんと上目遣いするも、忽ち過日の怪我の引き金と承知し、気恥ずかしげに廻した腕を解い た。
冗談混じりの言葉にも、俯き加減に頬染めるばかりで、矢張り初披露は未だか。と兄は笑い乍ら二人の間に入り、級友と仲睦まじい家族とを引き合わせた。
ルキアーノ=ブラドリーは鄭重に遅延を謝し、名門の気品を凛と纏ったヴァインベルグ卿もまた、末の子の非礼を詫びた。



芳醇な葡萄酒片手に、夫人を含めた五人が立ち話に興じていると、楽師の一団が訪れ、面識のある擦弦(ヴァイオリン)弾きがルキアーノに会釈した。
音楽に傾倒していた昔日の師である主席奏者(コンサート・マスター)は、歳若い家長の風格に憚りつつも、もうお弾きにならないのですか。と密やかに尋ね た。
さて。と濁してみたものの、嘆息する初老の芸術家から技量の程を聞きつけたヴァインベルグ卿より、是非にと所望された。
固辞しても責めは受けない立場であったが、感興をそそられて了承すれば、諦め半分で居た卿は僥倖を喜び、秘蔵の名器を彼に貸与した。
可憐な末っ子もまた嬉々として調律の手助けを申し出、巨大な鍵盤楽器の前に、行儀良く膝を揃えて腰掛けた。
速度と難度を上げ乍ら音階を往復するよう指示を与え、優美な曲線を肩に乗せると、淡い紫色の目配せに二人はぴたり呼吸を合わせた。
ルキアーノは弦楽器を奏でつつ少年の滑らかな指捌きに刮目し、対するジノも彼の剣舞を想わせる巧みな弓使いに息を呑んだ。
ほんの一時の手合わせに、場内は水を打ったように静まり返った。
橙髪の紳士は楽器を下し、幼いピアノ奏者の傍に歩み寄って共演を請うも、曲目を伝えると、弾じた経験が乏しいと素直に告白した。
苦手とする箇所を理由に遠ざかったとし乍ら、暗譜する迄に弾き込んでおり、問題の場面に差し掛かれば、成程僅かに調和が乱れた。
躓いた場面を五線紙に速記したルキアーノは、小さな手には困難な運指法が原因と見抜き、別な奏法を実演で教示した。
華奢な大人の五指を熟視し、初めぎこちなく手本を御浚いすれば、二、三度の復習で見事に熟し、完璧な調べに陽溜まりの笑顔を見せた。
出始めと展開部分の拍子を確認し合うと、すらり長身の貴公子は木目の美しい楽器を構え、息を呑む聴衆を一瞥し、優雅に弓を引いた。
弦楽器の独奏形式として名高い楽曲も、大作曲家は総譜(スコア)の原本に『ピアノとヴァイオリンの為のソナタ』と記し、双方に同等の卓越した技術を求め た。
均衡が崩れれば忽ち不協和音に帰したが、ジノは旋律を導く青年の弓に従いつつ、年端も行かぬ乍ら、意図された苛烈な駆け引きを懸命に展開した。
しなやかな指が鍵盤を離れると、第一楽章のみの短くも情熱的な名演に、満場から惜しみない歓声と割れんばかりの拍手が送られた。
橙髪の秀麗な奏者は楽器を小脇に抱え、恭しく片膝を突いて少年に握手を求めれば、清純な名家の末子は椅子から飛び降り、逞しい胸板に顔を埋めて感涙を零 し、皆を微笑ませた。





次の幕が上がった。
熱演を終えた端整な客人は用意された客間の長椅子(ソファ)に掛け、漸う泣き収まった小公子の発作的なしゃくりが止むのを、静かに待ち続けた。
演奏後に人見知りの事実を思い出したが、時既に遅く、賞賛を浴びて緊張の極みを超えた少年は、今や寝椅子に震える体を横たえた。
さらり飴色の前髪を梳けば、白い額が露となり、睫毛から覗く碧眼は未だ潤んで、熱を帯びたか弱い呼吸が不規則的に引き攣れた。
小卓の上、冷えた水差しを傾けて稚い口許に宛がった。
気怠げに頤を向け、硝子(グラス)の縁に薔薇色の唇を添わせ、ゆっくりと潤いを嚥下する姿は小動物の餌付けを想わせ、微かに笑みを零した。
虚ろだった瞳が緩慢に像を結び、やがて平静に帰した風情で居直ると、初めて飲み茶碗を受け取り、天然の恵みを芯まで注いだ。

「…ありがとう。」

幾分掠れた声で感謝を口にするも、優雅な目線ひとつで怪訝さを表した。
金髪の小公子はささやかな動揺に頬を赤らめ、両手で包み込んだ精緻な硝子細工の洋杯を一頻り撫ぜると、懸命に選んだ言葉を放った。

「今夜の招待を受けて貰えて、本当に嬉しかった。断られると思っていた…先刻貴方の姿を見掛けてから、ずっと上擦り放しで……つい、」

耳をそばだてる真摯な気配に語尾が萎んで、深呼吸を置けば、客人は真っ直ぐに立てたすらり長い人差し指を唇に当て、続きを遮断した。
きょろりと上目遣いの蒼穹の瞳に、此処が落ち着いてからだ。と、衣服(シャツ)の上から心の臓を軽く押して窘めた。
乱れ打つ鼓動を見破られ、ジノは面差しに一層の桜を散らした。



ルキアーノは中央に配された小振りの鍵盤楽器(セミ・グランドピアノ)の蓋を開けると、他愛無い慰めに、先程の余韻を手繰り寄せた。
御抱え音楽家が伝授し遂せるより先に会得し、幾度目かの肩透かしを最後に関心の薄れていた名曲は、今宵、彼に昔と異なる印象を残した。
記憶を辿りつつ白黒の盤を叩き、やがて中途で演奏を止めて、猶内気な少年の足許にも及ばぬ二流と、自嘲気味に鼻で嗤った。
彼の旋律は秀逸であったが、奏者の全き空虚な背景を自身で決して芸術と認めず、出逢った楽師達は皆、類稀なる才能の放擲を嘆いた。
翻って小公子が表現した情熱は邂逅を彷彿とさせ、此処に来て漸う、眼前の小さな存在が内包する神秘こそが当夜の動機付けと思い至った。



急な沈黙にジノは小首を傾げ、幼い軀に大人仕様の弦楽器を構えると、熱演の名残を惜しみ、もう一度。と躊躇いがちに強請った。
気紛れの積りが、或る種強烈な自己満足の為にも、肩を竦める素振りで応じれば、少年は鍵盤に指を戻すのを見届け、弓を番えた。
鋭い切っ先か、将又銃口を向けているかの様な緊迫した間合いに、ルキアーノは眩暈さえ覚えたが、弦の初音は意想外にか弱く響いた。
優美な旋律は次第に速度を上げ、火焔の激しさで翻弄して奏者の意識を奪いに掛かり、やがて歳の離れた二人を追い詰めた。
華奢な十指を白と黒(モノクローム)に滑らせつつ、気付けば絶頂を突き抜けた先に望んだ何かを期待して、彼は繊細で芯の強い音色を奏でて居た。
だが、残り僅かと謂う間際で、不意に少年の弦が空を裂いて弾け飛び、灼熱の極みには達し得なかった。
ルキアーノは汗ばんだ額を拭うと、肩で息をしながら呆然と立ち尽くす名家の末子の傍に寄り、小さな腕には不釣合いな楽器を取り上げた。
上気したまるい頬を指先でそろり撫でれば、強張っていた瞳の奥はやがて弛緩し、二人は長椅子(ソファ)に再び腰を落ち着けた。



「此方の方がより堪能だな。」

弦の切れた楽器に目を遣り乍ら、率直に感想を述べると、艶やかな結い髪を乱すほど左右に振った。
謙遜していた少年も、端整な顔立ちにじっと見詰められては、純然たる称賛に慎ましく謝辞を返した。
何の気無しに歳の数を訊いてみれば、十を迎える迄に猶三月も要すると判り、幼弱な軀に秘められた偉大なる資質に、紳士は天を仰いだ。
ヴァインベルグ家の末子は客人の驚嘆振りを怪訝そうに瞬き、予々噂される彼の多才にこそ関心を寄せたが、何れも唯の道楽と往なされた。
ジノは少しく落胆の面持ちで、歳上の次兄から聞き及んでいた逸話の一つをぽつり漏らすも、忽ち僭越に気付いて、はっと口を噤んだ。
尤も其れは学業成績に関する聊かの美談であったが、無理にせがんで教えて貰ったのだと、少年は健気に兄を庇い立てした。

「貴方の事を少しでも知りたくて…」
「だから穿鑿を?」

語感から滲む辛辣な意味合いに堪らず涙ぐみ、…ごめんなさい。と儚く項垂れた。
一族の輝かしい武勲や当代に至る迄の系譜、皇統に連なる彼自身の出自さえもが、公式記録を閲覧すれば誰であれ知り得る事実であった。

「嗜好品は、紙巻き煙草と珈琲だ。」
「……え?」

頬杖を突いて、泣き虫な仔猫(キティ)。と意地悪な微笑みで片眉を上げれば、小さな手の甲で乱暴に目許を擦り、拗ねる仕草で外方を向いた。





隠しの銀時計は最早遅い時刻を指し、橙髪の客人は未だ年端も行かぬ可憐な家長代理の為にも、暇乞いを申し出た。

「さて、そろそろ左様ならの時間だ。」

告げれば忽ち切なげに柳眉を寄せ、今生の別れとでも謂わんばかりに悲嘆した。
彼は少年の一途な思慕を大方歳上に対する憧憬と判じ、早々別な対象を探すべきと、密かに苦笑混じりの溜息を吐いた。
憂いを湛えた幼い眼差しも、沈黙で押し止めれば観念すると思われたが、果たして少年の唇からは真逆の言葉が放たれた。

「厭だ。」
「ジノ?」
「逢えるのを、何日も指折り数えて待っていた…其れが、もう御別れ?」
「おい、」
「厭…厭だ!絶対に厭!御願い、あと少しだけ……」
「……ッ…」

明瞭な拒絶にルキアーノは苛立ち、危うく相手が稚い子供と失念し掛けて、滅多と無い感情的な自身に舌打ちした。
若年故の我儘は彼の最も嫌う処であったが、顰め面を拵えるより前に、……ごめんなさい…。と湿り声で二度目の謝罪をし、俯いた。
招待主に泣かれては敵わぬと、落ちた白い頤を掬い上げた。

「今日と謂う日が終われば…僕達は、逢えなくなって仕舞う……」

ヴァインベルグ家との交際が格別親密で無い上、末子の年齢を考慮すれば、再会迄には相当の時間を要すると了解していた。
過日の邂逅はまさに僥倖であり、薄桃の唇が告げる冷酷な事実に、聊かの躊躇いを感じた。
彼は、自分が友誼を深める選択をすれば、ジノに対し優良な作用を起こさぬばかりか、害する危険性の方が高いとの冷静な見解を持した。
其れで居て記憶する限り、此の金髪の小さな貴公子ほど掻き立てられた存在は無く、淡い瞳に潜む情熱の真理を最早希求して止まなかった。

「ジノ…私達は、今宵で漸く二度逢っただけの顔見知り。」
「短い別れの言葉で、三度目の希望を奪わないで欲しい。 “左様なら”は、二人の時間が本当に最後を迎える瞬間迄、封印したい…」
「口説き文句が大層御上手だ。」

片眉を上げて茶化すも、いじらしく両膝の上できつく十指を絡めて羞恥を凌ぎ、真摯に交際を申し込んだ。
ルキアーノは取り出した紙巻きの吸い口を卓に打ち乍ら、健全な発達時期に在る幼い末子を、何時迄穢さずに遂せるものかと思案した。
首肯すれば紛う事無き禁忌を破ると承知したが、果たして小さな太陽王の光が褪せるならば、陰鬱な月の化身となって侵蝕をも目論んだ。
尤も、其の様な謀略を巡らす程には自身の関心は残って居まいと、咥え煙草の儘微かに肩を揺らし、摺った燐寸の穂先を灯した。

「……やれやれ、何ともせっかちな求婚だ。」
「え?」

諾否が分からず細首を傾ければ、誓いのくちづけでも欲しいのか?と紫煙混じりに返され、少年は忽ち熟れた果実の様に頬を赤らめた。





美しい月下、名家の歳若い家長が漸く帰路に就いたのは、小さな温もりが寝入ったずっと後の、夜半を過ぎた頃であった。