「勘違いされたけど、振られる以前に、まだ告白していないんです。」
「そうだったのか。」
「覚悟を決めていざ臨もうとしたら、どうやら気持ちが通じ合っていたようで……」
心なんて物は人体の何処にも無いのに、完膚なきまでに打ちのめされる。
満面の笑みを湛えるジノに、そんな些事を悟られる訳にはいかないのに。
動揺など。
「それは良かった。おめでとう、と言うべきかな?」
「やっと辿り着けた。」
そう言うと、ジノはダンスを申し込む紳士宜しく掌を伸ばした。
…………?
嬉しさのあまり、ジノが多少滑稽な事をしても、スルーしてやれる程度には俺も大人だ。
促されるままに差し出した俺の手を取ると、ジノはそのままソファの下に跪き、空いているもう片方の手を自分の胸に当て、此方を見詰めた。
膝を折るのは職業病だな。などと思いつつ、俺は出方を窺った。
「病める時も健やかなる時も、貴方を信じ、その心に寄り添い、一生大切にすると誓います。いつまでも、傍に居るよ。死が二人を分かつとしても、ずっと。約
束する。……
愛して」
「おい、ちょっと待て!!」
映画のワンシーンみたいに華麗にプロポーズしているが、前言撤回だ。
とてもスルー出来ない……このまま挙式しそうな勢いに、俺は未だ子どものままで結構だと再考した。
「もう、ちゃんと最後まで聞いてください!」
「馬鹿者!それは本人に言え!!」
「だから今、言ってる最中!!!」
「はぁ?」
俺たちは、互いに呆れ果てた顔をして相手を見ていた。
どうやら見解の相違があるらしい。という共通認識がなされたのは、僥倖だ。
俺は取り敢えずジノをソファの元の位置に戻し、眉間に手を当てて可能な限りの記憶を巻き戻した。
隠し続けてきた感情がいつ露見したのか、日頃の自分の言動を振り返ってみたが見当がつかない。
それに、ジノが想いを寄せていた相手が…………。
「さっき、運命の人はもう傍に居るって小指を見せたでしょう?」
「あれは、その……目に見えないのが残念だと思っただけで、だな…別にお前の相手を名乗り出た訳ではなくて、」
いつもの悪戯な子どもの顔をしていてくれたら、簡単にあしらえたのに、今は……。
そんな目で見られると、心苦しい。
「誤解……だ。」
ジノは俺の小指に自分のそれを絡ませ、そこに優しいくちづけを一つ落とした。
「髪の先が触れただけで……と言っていたけど、今は、震えているね。」
繋がれた指先の戦慄きを、誤魔化すことなど最早出来る筈もなかった。
思いがけず洩れた自分の声の所為で、秘めた想いが決壊しそうになるのを必死に食い止めていた。
願って願って心の底から望んでいながら、拒絶される恐怖と、踏み込めば後戻りは出来なくなるという確信が、俺を押し止めた。
何より、正体を伏せる為とはいえ、真摯な交友を望んでいたジノへの数々の不当な仕打ちを、贖う立場なのだ。
「人違いだ。お前は動揺していない。」
俺は努めていつもの口調で受け流そうとしたが、早まる鼓動を収めきれずに、その微かな震動が一つになった指から相手に伝わった。
ジノはさらりと前髪を掻き上げて、静かに息を吐いた。
「私はね、同僚に嫉妬したんです。だから、幼稚な対抗心で貴方に電話した。声を聞いたら逢いたい気持ちを抑えられなくて、躊躇したけど貴方を初めて誘っ
た。受けて貰えて、とても嬉しかった。だから……、貴方はいつも本気にしなかったけれど、言葉にするのは、これで最後にするつもりだった。」
「……え?」
「あの嵐の夜が私の思い違いなら、永遠に叶わない。」
ゼロという仮面を被り続ける為にも、知られてはならない感情だったのだ。
―――たとえ、これが真実の恋でも。
だが、仕舞い込もうとすると同時に、この青い瞳がそれを看過するとは、寸毫も思っていなかった。
暴露されるのは、時間の問題だった。
用を成さぬ二枚舌など端から選択になく、また策を弄したところで、俺の矜持が保たれる訳でもなかった。
侮り難い頸敵だと、知っていた。
分が悪いことは了解していたが、俺は小指を解いて遁走を試みた。
「恋情と友情を錯覚しているだけだ。」
「履き違えるほど、経験が浅いと?」
「恋愛遍歴は知らない。だが……少なくとも、俺は同性だ。」
障碍がこれだけなら、造作ないと思った。
俺は早々に有効なカードを出したつもりでいたが、ジノは言下に返した。
「貴方なら、その理由で、自分の感情を律することが出来ますか?」
「…………一過性の熱病だ。」
「肺炎で死ぬ場合だってある。」
目を、逸らした方が負けだ。
嘘は吐かない。
その代わり、俺はお前を最も傷つける遣り方で裏切ることになる。
「俺では、お前の幸福に与することは出来ない。」
「この胸を切り裂いて、私の総てが貴方に焦がれていると伝わるなら、疾うにしている。」
「…………ジノ、お前は自分の事を真に理解して求めてくれる相手と一緒になるべきだ。見誤るな。」
ジノは光の中に在って、周囲を惹き付けるに十分な資質に恵まれている。
俺を追い込む手腕がありながら、既の所で躊躇うのは、愛されて育った人間だからだ。
その強さが優しさに裏打ちされたものであるから、非情な手段にも出られずに煩悶する。
「私を知る人間なら、他に一人だけ居ます。」
「何よりだ。」
胸の奥で切なさが爆ぜた。
「だがそれで、私が倖せになれると思いますか?」
「他人と共存する上で、容認されたいと願うのは、自然な欲求だ。」
「本気で言っているとしたら、貴方はとても残酷な人だ。私にとっても、貴方自身にとっても。」
口を噤む以外に、何が出来たというのだ。
ジノの言葉は、的確に俺の胸を穿った。
「問題の本質を、貴方なら解る筈だ。」
詭弁だと、承知の上だ。
重ねた罪を思えば、如何なる罰も怖くはないのに、自分が一体何に怯えているのか分からなかった。
俺がこの腕で護り抜きたいものは、ナナリーだけだったというのに。
それでも、ジノ……どうか最後の最後には、赦して欲しい。
「貴方へと続いていないのなら、運命など信じない。」
凛と告げられた言葉に自分の奥底を看破され、俺は体裁を取り繕う事すら出来ず、俯いた。
―――チェックメイト。
右の小指にキスをして、そっと翳してみせた。